奇跡の果実 / 友部正人 雨の降った朝、いつも電車から見える田園風景が心なしか変わっていた。田植えの準備で田んぼに水がはられていたのだ。あぁ、もう6月か、入梅の時期だなぁ、なんて思っていたらこの人の声が聴きたくなった。
田植えの季節の田んぼ。美しい日本の風景。
そして友部正人の紡ぐ、美しい日本の言葉。
実際詩集も出しているけれど、「日本のボブ・ディラン」なんてたとえより、谷川俊太郎あたりを引き合いに出したい、美しくイマジネイティヴな詩。
例えばこのアルバムのオープニング曲はこんな感じ。
風は長い着物を着て
朝の通りを目覚めさせる
僕は朝と手をつなぎ
夜まで眠ることにした
雨は遅れてやってきて
村の祭りを中断させた
オートハープを抱えた少女が
駅で電車を待っている
君が歌うその歌は
世界中の町角で朝になる
君が歌うその歌の
波紋を僕はながめてる
(友部正人/朝は詩人)
何を言わんとしているのかは、わかったようでわからない。でも、印象やイメージが、温度や光や湿度とともに伝わってくるような。
詩なんて元々意味を伝えるものじゃなく、心のかたちをそのまま表現するものなんだと、改めて思う。
決して上手くはない、そしてつかみどころのない歌から伝わってくる温度や湿度は、極めて日本的。
30歳を超えてからのこの人の声や詩は、梅雨の時期の気候のように、濡れているのに湿っぽくない。乾いてるのにカラッとしていない。そして水がいっぱいにはられた田んぼのように、透明ではないのに透き通っていて、鈍くもなくきらきらでもなく、でも確かに光っている。
20代の頃のナイフのようなギラリとしたものや明らかな毒は影を潜め、ぼんやりとした希望やぼんやりとしたアキラメがぼんやりとした光とぼんやりとした湿度の中で淡々と語られる。それは、悲しげなのに憂鬱ではなく、むしろ晴れやかですらある透明な悲しみや慈しみ。
こんな風な歳のとり方をしたいものだと呟く僕は、未だに大人になれないでいるのだけれど。
まぁ、いいか。友部正人だって大人じゃないし子供でもない、友部正人自身であり続けているからこそ、こんな言葉が紡げるのだと思うから。
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