Layla & Other Assorted Love Songs / Derek & The Dominos 今でこそ渋くてダンディなオジサマとして世間に認知されているエリック・クラプトンだが、60年代後半はサイケデリックに塗り倒したギターをギンギンに弾きまくり、「ギターの神様」と呼ばれていた。
超絶技巧を誇るジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーと組んだクリームは、ブルースを解体して研ぎ澄まし、それぞれの演奏技術を極限まで極めた、まるで格闘技のような音楽だった。それはきっと若きクラプトンにとってスリリングな作業だったに違いない。けれど同時にその3人から弾き出されるように産み落とされた音楽は、少年時代にクラプトンが衝撃を受けたリアルなブルースとはかけ離れた場所にある音楽だったような気がする。
クリーム時代のクラプトンの演奏からは、好きでやっているというよりは先の高みに登りつめるためには乗り越えなければならないような、そんな必死の形相が見える。己の限界に挑戦するような息詰まるようなテンションの高さ、それが聴いている側を興奮させもするし、息苦しくもさせるのだ。まるで苦行に挑戦する僧侶のような孤高の姿。(それ以前のヤードバーズやブルースブレイカーズ時代の淡々と渋くブルース・フレーズを弾きこなす姿は、その例えでいえば修行時代ってことになるだろうか。)
クリームでのハードなバトルに疲れ、インプロヴィゼーションのための音楽に疑問を抱いたクラプトンは、ブルースの原点に戻ろうとする。クリーム解散後、ブラインド・フェイスを結成したクラプトンだが、ザ・バンドやデラニー&ボニーといったアメリカ深南部のディープな音楽世界に心を洗われてブラインド・フェイスを解散し、デラニー&ボニーのいちギタリストとしてツアーに参加するのが1969年。デレク&ザ・ドミノスは、そのバックバンドにデュエイン・オールマンが参加して1970年に結成され、たった一枚のこのアルバムを残した。
ドミノスでの演奏から聴こえてくるのはクリームでの息苦しさとは無縁の、初めて自分を解放して自分らしく自分の思うままにプレイできる楽しさや、そんな音楽を一緒にプレイできる仲間に出会えた喜び、そして音楽にかける情熱が迸るように溢れている。「もうこれさえ実現したら死んでも本望だ」くらいの勢いで、ありったけのベストを尽くして完全燃焼している、そんな潔い心地よさ。喜びを湛えた素直なこぼれんばかりの笑顔、悲しみはまっすぐに受け止めて号泣し、胸に抱えた苦しみをありのままに告白し、不実の恋に身を焦がしてはありったけの情熱で恋しい気持ちを叫ぶ、そんなまっすぐな感情に溢れた演奏。
クラプトンのこんな表情の演奏は、実は後にも先にも聴く事ができないものだ。
エリック・クラプトン、そのとき25歳。
このアルバムの録音の直後、敬愛していたジミ・ヘンドリクスがドラッグで死亡、更に翌年にはデュエイン・オールマンがバイク事故で死亡。内気で繊細なクラプトンにとって、本当に心から分かり合える友人を失ったことは大きな出来事だった。クラプトンはそんな出来事の中で次第に酒とドラッグに溺れ、少しずつ自分を見失い、まともに音楽と向き合うことすらできず、シーンから姿を消してゆく。後の回顧で「本当は僕があちらへ行くべきだったとずっと思っていた」というようなことを語っているけれど、そんなクラプトンは荒々しい人生の波を乗り越えていくにはイノセント過ぎたのかもしれない。
ドラッグ中毒から復帰後のレコードでは、良くも悪くもこのアルバムで聴けるキラキラしたイノセンスは失われてしまっている。それは仕方のないことだ。だからこそ、このアルバムに残されたピュアでオネストな演奏をより愛おしく感じるのだと思う。
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