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♪The End / The Doors

Doors
Doors / the Doors


福島県の高校生による母親殺害事件。嫌な事件だ。
首を持って自首したこと、その前にネットカフェでDVDを見ていたことや2ちゃんねるへの書き込み、右腕も切り取られていたこと、母親に恨みはないこと、「人を殺してみたかった」という発言。
完全に心が壊れてしまっている。

少年による殺人事件の報に触れるたびに浮かんでくるのは、ザ・ドアーズの“ジ・エンド”。抽象的な表現で描かれる心の暗闇と幻想。
こんな曲だ。


(拙訳:The End )
これで終わりだ 美しき友よ
これで終わりだ ただ一人の友よ
僕らが立てた緻密な計画はこれで終わる
すべての戦いも終わる
安全もなく驚きもなく終わる
僕はもう二度とアナタの瞳を覗き込むことはないだろう

無制限に自由に何でも描いていいって言われても
一体何が描けるっていうんだ?
誰かの手がどうしたって必要なんだ
この絶望的な土地では
容赦ない痛みに愛も夢も見失って
子供たちは気がふれてゆく
まるで夏の雨を待つように

街外れは危険に溢れている
王様のハイウェイに乗りなさい
金鉱の中の不可思議な風景
王様のハイウェイに乗って西の国へ
蛇にまたがって
湖へ 古代の湖へ
その蛇の長さは7マイル
年老いて、冷たい皮の
蛇にまたがって
西の国はとても暮らしやすい
土地を手に入れて
そこで休息をとろう

青いバスが僕らを呼んでいる
青いバスが僕らを呼んでいる
運転手さん、さぁ連れて行ってくれ

夜明け前に殺人者は目覚め、ブーツを履いた
彼の顔はまるで古代人の面のようで

彼は姉妹の住む家にたどり着き
彼の兄弟と、そして彼自身に対面した
それから
ドアの前に立ち中をのぞきこむ
父さん あんたを殺したい
母さん あんたを犯したい

今こそそのとき
今こそそのとき
青いバスの裏で僕と会いましょう
青いバスに乗ってブルー・ロックを演ろう

コロス コロス コロス コロス コロス

これで終わりだ 美しき友よ
これで終わりだ ただ一人の友よ
自由はアナタを傷つける
アナタは決して僕にはついて来ない
柔らかなウソも微笑みもこれで終わる
僕らが死のうとした夜もこれで終わる
これで終わる



ドアーズを聴いていたのはもうずいぶん前、十代の後半の頃のこと。
27歳でクスリで死んだジム・モリソンの紡ぎだす抽象的で幻想的な歌詞。何か魔術にかけられたようなくぐもった声。ドアーズの描き出す世界は、ねっとりした膜のようなものに僕を包み込んで精神の深い所へ連れ出し、妙にリアルなな質感を伴った幻の風景をたくさんみせてくれた。ある時期、ドアーズとジム・モリソンは僕の神様だった。
今、ドアーズを聴いてもあの頃のようには響かない。それは本当に、ある限定的な一時期に於いて有効なクスリのようなものだったのかもしれない。

十代半ば~後半の男の子はみんな多かれ少なかれ心の中にある種の暗闇を持っている。その暗闇の中に臆病で獰猛な獣が棲んでいる。
男はそもそも常に生存競争にさらされていて、いつも自分の価値を何かと比較して測っている生き物だ。そんな中で自分の存在価値を見つけることでしか生きていけない生き物。競争の中で自分自身に自信を持てなかったり、自分の存在価値を見出せなかたったりしたときに、その鬱積が自分を抑圧している強者に向いたり、逆に自分より更に弱いものに向かったり、或いは自己の存在否定に向かったりする。
あの少年の心の闇に棲んでいた臆病で獰猛な獣は、噛みつかない限り逃げ場所がないと感じていたのだろうか。普通の神経であればよほどの強い恨みなしに人は人を殺せない。あれほどまでに残酷な行為の後ですら痛みを感じることがないほど少年の心は感情を失い、磨り減っていたのだとすれば、何がそれほどまでに彼を追い込んだのだろう。何にそれほどまでに追い込まれたのだろう。

僕がドアーズにはまっていた頃、僕はまだ童貞だった。まだ知らないその行為の感触を妄想しては悶々としていた時期と実は一致する。男の生存競争にとってのひとつの関門は、自分の遺伝子情報を持ったカプセルがその入り口にたどり着けるかどうか。多くの心の闇がもたらす少年犯罪のほとんどは、親の愛情の不在や孤立、親の愛情からの独立と自分自身が見つけなければいけない別の愛情への橋渡しのときに谷間に落っこちるような感じでおきるのではないかという気がする。ひょっとしたらこの少年の言う「人を殺したい」という欲求は、単に「女とやりたい」欲求が抑圧されて歪んだ形なのかもしれない。もっと言えば「愛されたい」という想いの変形。

多かれ少なかれ誰もが十代の後半の頃には心の中に暗闇を抱え込む。僕たちはその時期をどうにかやりくりして難破せずに大人の島へたどり着けた。それは実は紙一重だったのかもしれない、と今になって思う。
あの頃、本当に、生きることに真剣に思い悩んだ。たいした未来なんて自分自身に訪れるはずがないと思っていた。どってことない歩む価値のない人生をただだらだらと生きていくだけなのだと。あの頃の自分はまだ砂浜で波遊びをしていた程度でしかなかったのに、何を分かった風なことを嘯いていたのだろう。
あの頃の自分に言葉をかけることができるとすれば、こんなことを言うだろう。「生きていくことはそんなに悪いことばっかりでもないぜ。」って。


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コメント

[C3343] Re

古い文章を掘り起こしていただき光栄です。
ありがとうございました。
書いた本人もすっかり忘れていましたが、思春期に感じた諸々の思いは、大切にしたいと思います。
  • 2019-12-11 23:50
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C3342] 無題

ドアーズのこの曲を検索していて偶然ここに辿り着きました。
報道や文学の中でさえ、まともな文章が書けない人間が多い中、誠に素晴らしい解読文です。

[C3085]

貴方の言葉に救われました。有難うございます。

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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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