As Time Goes By: The Great American Songbook 2 / Rod Stewart ロッド・スチュワートほど多くのいわゆる「良心的なロック・ファン」から卑下され揶揄されている人も少ないのではないだろうか?
曰く「ロッドがかっこいいのは70年代中頃まで」「ジェフ・ベック・グループやフェイセズでのロッドはかっこよかったのに、ちゃらちゃらしたディスコに走り、今じゃ老いぼれた懐メロスター。ロック・スピリットのかけらもない。」
それは、ある意味真実なのだろうと思う。
ロッド・スチュワートは、若い頃はプロのサッカー選手を目指して結局挫折し、ビートニクスになって世界中を放浪した後、旅で覚えたブルース・ハープ奏者としてジミー・パウエル・アンド・ザ・ファイブ・ディメンションズに加入。その後転々とバンドを渡り歩き、ジェフ・ベック・グループでメジャーになり、クビになるとロン・ウッドとフェイセズに加入し同時にソロ・シンガーとして別のレコード会社と契約。このあたりがなんともいいかげんだが、二足のわらじを履きつついかれたロックンロールを歌ってきた。
1975年フェイセズ解散後は、派手なファッションに身を包み、流行のディスコ・サウンドなんかも節操なく取り入れた、きわどくセクシーな歌と泣きのバラードでヒットチャートを席巻し、時代を代表するセックス・シンボル、スーパー・スターに成り上がる。この頃のロッドのイメージは本当に軽薄な色男そのものだった。
一時代が去った後もロッドの軽薄さや節操のなさは変わらない。
80年代にはアパルトヘイトで興行が禁止された南アフリカで平然とライヴしたり、90年代アンプラグドが流行れば早速レコード出して、名曲バラードをカバーするたびにベスト盤出して。98年には若者受けを狙った?90年代ロックをカバーしたアルバム。それがはずれると今度は「グレイト・アメリカン・ソングブック」なんてゆー、あんたはフランク・シナトラかっ!と突っ込みたくなるようなジャズのスタンダードのカバー・アルバムを作ってビッグ・バンドで朗々と歌い、しかもそれが当るや立て続けに3年間で4枚の「アメリカン・ソング・ブック」シリーズ。更には「グレイト・ロック・クラシックス」なんちゅーアルバムまで出す始末。調子に乗りすぎ!
そこには確かに、かつてのいかしたロックンローラーのイメージは微塵もない。今のロッドは、金儲けのためには手段を選ばない、魂さえも売り渡せる男でしかない。平気で自分の過去を切り売りし、懐メロを歌ってご満悦のくたびれたオヤジ。少年の頃嫌悪した、大人の世界。あんな大人には死んでもなりたくないと思ったような。
60年代~70年代、ロックという新しいカルチャーが、今までの古い価値観をぶち壊していった。
それは、将来のために今を犠牲にしたり世間体のために我慢したりしないで、今やりたいことをその瞬間にやりたいだけやりまくって「今」を楽しみ、あっという間に去ってしまうような生き方、そんな価値観。例えばジミ・ヘンドリックスみたいに。それこそがロック的な生き方だと思っていた。自分を偽らず「本当の自分自身」を追及するのがロックなんだと。
ある時たまたまこの「グレイト・アメリカン・ソングブック」を耳にする機会があって、目から、いや、耳からウロコが落ちた。
かっこいいのだ。
一度は聞いたことのある、どうでもいいようなスタンダード・ソングが、あのロッド独特のしわがれ声で歌われる。それがどうしようもなくかっこいい。
ロックかどうかなんてどうでもいい。軽薄でも節操なくても構わない。音楽に重要なのは、心を震わせることができるかどうか、ただそれだけだ。そんな風にこのCDを聴いて改めて思った。
ロッド・スチュワートという人は、最高の音楽さえ歌うことができれば、きっと「本当の自分自身」なんてどうでもいいいのだろう。そんなものはきっとプロ・サッカー選手を挫折した時点でとっくに捨てていたのかもしれない。からっぽの自分が何かの拍子で歌ってみたら回りの人間が喜んだ。それがそんなにいいのなら、それをやっていくさ、みたいな感じ?いかしたロックンローラー気取りだった頃からずっと、ロッドはただ、最高の音楽を歌いたい、聴衆と共に最高の音楽を共有したい、ずっとただそれだけをやってきた。ひょっとしたら音楽ですらなくてもよかったのかもしれない。目の前の誰かが自分のすることに喜びさえしてくれるのなら。
「自分探し」だなんて言うけれど、「本当の自分自身」なんて一体どうやって見つけるのだろう?何を以って本当の自分自身と呼ぶのか、なんて誰にも分からない。
「本当の自分」は実は他人の瞳の中や心の中、それから自分がたどってきた過去の中にしか存在しない。そのことに媚びたり取り繕ったりせずに、自分に求められることをただやっていくだけ。
ロッドはずっと昔から、そのことをよく知っていたのに違いない。
「グレイト・アメリカン・ソングブックVOL.2」から、フランク・シナトラも十八番だったこの曲を
(拙訳:Until The Real Thing Comes Along )
君のために働いていく
君のためなら奴隷にだってなれるだろう
乞食にだって悪漢にだって
もしこれが愛じゃないとしても
僕はきっとやり続けていかなきゃいけない
本当の真実って奴がやってくるまで
この地球で君に出会えたことを感謝したい
愛ってなんなのか 証明するために
それはとっても大事なこと
もしこれが愛じゃないとしても
僕はきっとやり続けていかなきゃいけない
本当の真実って奴がやってくるまで
全部の言葉を総動員したとしても
君を理解することなんでできっこない
けど、これからもずっと愛してる(はずだ、きっと)
僕の心は君のもの
これ以上に何が言える?
君に溜息をつき、君のせいで泣き叫び
星が空から落っこちちゃうくらい涙を流すだろう
君のためにウソをつき、君のために泣き叫び
君のためにこの身を投げ出し死んでもいい
もしこれが愛じゃないとしても
僕はきっとやり続けていかなきゃいけない
本当の真実って奴がやってくるまで
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