ブライアン・アダムスは1959年カナダ生まれ。1980年、21歳でデビューし1983年の「Cuts like a Knife」でブレイクし、翌年の「Reckless」が世界的に大ヒット。5曲のシングルヒットを連発した。 彼の音楽の良さは、一言で言うと「若さ」。ストレートで実直で熱血で健康的で素直な想いを、ストレートなビート、ストレートなギターに乗せて、ポップでわかりやすいメロディで、少し苦味のあるハスキーな声で歌うブライアン。大人になって聴けばかわいらしいくらいだけれど、正直、いじけてひねくれて女の子にモテなかった僕のような少年からは、ある意味羨ましく、ある意味健康的過ぎてなかなか感情移入できない、そんなシンガーだった。
大ヒットのあとにどんな作品を世に出すかでアーティストの真価は問われる。 ブライアンの中では健康的で単純であることが実はコンプレックスだったのだろう。1987年、ブライアンの5作目「Into the Fire」は、ある意味周囲の期待を裏切る、渋い音楽性と哲学的な悩みを抱えた詞を持った作品だった。大人っぽく渋いそのサウンドはかっこよかったけれど、何かが失われていた。瑞々しさのようなものが。そして結果、セールスも評価もボロボロだった。
その後1991年まで、ブライアンは沈黙する。 そして発表されたのがこの「Waking Up The Neighbours」。 そこには、ブライアンらしい、素直で健康的なメロディやアレンジが戻ってきていた。無理した背伸びじゃなくほんの少しだけ大人になって、けどあのころのやんちゃ坊主のままの屈託のない笑顔のような音楽。 例えばこの曲「(Everything I Do) I Do It for You 」にしても、馬鹿みたいにストレートな、気恥ずかしくなるようなラブソング。これが結果的には大ヒットシングルになる。 自分なりの自信作「Into the Fire」が支持されなかったことに、ずいぶん迷ったのだろうと思う。そして最終的に『自分らしさのままで行けばいいじゃないか』という境地にたどり着いたのだと思う。そしてその自分らしさとは、実は自分の中にではなく、自分とオーディエンスの間に生まれるものだということに。
Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。 “日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。 自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。
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