イギリスのポスト・パンク・ムーブメントの中で1979年にデビューしたザ・プリテンダーズ。率いるクリッシー・ハインドは、実はアメリカ・オハイオ州生まれで、23歳の時にイギリスに渡り音楽雑誌のライターをやっていたのは有名な話。その音楽は、まるで60年代のスモール・フェイセズやキンクスばりのシンプルでシャープなロックンロール。ギターを抱えて時にクールに時にワイルドにシャウトするクリッシー・ハインドの姿はまさに“姉御”って感じで、女を売りにしたなよなよしたセクシーさなんて微塵もない、シャープできりっとして活きの良いかっこよさが魅力的だった。 ファーストアルバム、セカンドアルバム共に大ヒットして一気にスターにのしあがり、さらにクリッシーは、彼女自身の長年のアイドルでもあるキンクスのレイ・デイヴィスと結婚。まるで絵に描いたようなDreams Come Trueなサクセス・ストーリィーだった。 ところが幸福の絶頂はそう長続きはしない。1982年、ドラッグ中毒のベーシストをクビにした翌日、以前クリッシーが付き合っていたというギタリストがドラッグの過剰摂取により死亡。レイとクリッシーも離婚する。
そんなごたごたと解散の危機を乗り越えて翌年に発表された3枚目のアルバムのタイトルは『Learning to Crawl』=「這い進むことを覚えているところ」。自分の子供がはいはいするのを見て、自分も今からもう一度、はいつくばるように進んでいくんだ、という決意を込めてこのタイトルをつけたのだと思う。 そしてエネルギッシュなロックンロールの一曲目、「Middle of the Road」。 オープニングのドラムからもう鳥肌立つくらいかっこいいこのアルバム。乾いた音のタイトなギター。そしてクリッシーのドスのきいたシャウトにぞくぞくしてしまう。初めて聴いた高校生の頃から、今聴いても変わらない、奇をてらわないオーソドックなかっこよさのシンプルなロックンロールだ。 シャープでソリッドな演奏から、こんなところでへこたれてたまるか、という強い意志が漲っている。メンバーの死も別れをもプラスのエネルギーにして突き進んでゆく潔さ。その凛とした、ある種のたくましさすら感じる姿は、本当にかっこいい。 こんな場面では多分、男の方がめそめそするんじゃないかと思う。クリッシーは当時を振り返って「とにかくバンドを維持することしか頭になかった。私には音楽しかなかったのよ。」というようなことをどこかのインタビューで言っていた。女の人の切り替えの早さというか、思いを貫くときのしたたかさ、何かを実現させたい時の女の人のタフさにはやはり敵わない。そしてそんな時に女の人が見せるかっこよさは、なよなよした女っぽさを売りにするようなわざとらしいセクシーさよりも何十倍も艶っぽいと思う。
(拙訳:Middle of the Road) 道の真ん中で あたしを見つけてよ ある計画を隠し持って道の真ん中で突っ立っている 誰もがあたしに笑顔で近寄ってくるけれど あたしを勝手に枠にはめて期待しないでほしいの そうするのならばあたしは爆弾を落とすわ
Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。 “日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。 自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。
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