浮世の夢 / エレファントカシマシ いい天気ののどかな春の一日だった。
河川敷から若者たちの騒いでいる声が聞こえてくる。春ともなれば花も咲くし虫も出る。若者の騒ぎも同じく春の風物か。
今日、検査のため病院へ行ってきた。春爛漫ののどかな陽射しを受けながらその重い扉をくぐれば、いつの季節でも変わらないどこかひんやりした消毒臭い空気が漂っていた。診察室に並んだ医療機器がその空気をより一層無機的にしていた。
検査の結果は幸いにも異常はなく、麻酔と安定剤で少しボンヤリした頭で歩く道すがら、この歌を思い出した。
世を上げて
春の景色を語るとき
暗き自部屋の机上にて
暗くなるまで過ごし行き
ただ漫然と思いゆく春もある
いい天気だ
何処へ行こう
不忍池など楽しかろう
雨になれば
水も増して
さぞ水鳥も喜ぶだろう
忘れるだろう
忘れるだろう
今日一日の出来事など
何をなしても
忘れ行くのみで
忘れてゆくさ
夢のちまたへ
最初の会社を辞めてから今の仕事に就くまで3年近く無職だった。ニート?いや、自活はしていたからね。そんな人間は当時はプー太郎と呼ばれていたけれど。何かを目指して資格を取ろうとしたとか、そんなんじゃない。ただ、本当に何もしたくなかっただけ。
プーの頃の春は、まさにこの歌のような暮らしだった。余程の用事がない限り外へ出ない。買い物をしたら一日の仕事が終わり。今日は洗濯したから今日の仕事は終わり。テレビ見て居眠り、音楽聴いて居眠り、本読んでギターじゃらじゃらさせて、飽きたので散歩。ご飯食べてまた居眠り。そうやってただ何もしないでぶらぶらしていた。
今日もまた無駄に一日を過ごしてしまった、二度と戻らない若い日を無駄にしてしまった、と少し後悔しながら、世間の若者たちはもっと楽しいことを積極的に探して毎日せっせと働いて毎日せっせと遊んでいるのにこんな無意味で怠惰な暮らしをしていていいのか?と自問自答しながら、それでも毎日ぶらぶらしていた。日雇いや短期間のアルバイトを細々と続けながら、気が向いたらそのままふらりと旅に出たりして、そんな暮らしを3年間続けた。
今でこそ一人前に家庭があって、仕事でもそれなりに責任ある立場を任されているけれど、それはあの頃の無為の時間から得たものがあってこそ、と思っている。少なくとも「あれだけゴロゴロしたから、ちょっとはまともに働いてみてもいいだろう。」という気持ちになれるのはあの頃のお陰だ。
河川敷の若者たちの騒ぎもようやく収まった。
騒ぎたいだけ騒げばいい。そして騒ぎの後の孤独をかみしめればいい。その淋しさに耐えることができたなら、きっと強い大人になれると思う。
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