GETZ/GILBERTO / Stan Getz/Joao Gilberto 春っぽいジャズをもう一枚。
ボサノヴァ・ジャズの名作といわれ、親しまれ続けている「ゲッツ/ジルベルト」。ジョアン・ジウベルトの呟く様な声、その妻アストラッド・ジウベルトの天使のような歌声、アントニオ・カルロス・ジョビンの淡々とした堅実なピアノ、森を抜ける風や押し寄せるさざ波のような心地よいリズム隊。そして歌い上げるスタン・ゲッツのテナー。確かに気持ちのよい作品だ。
このアルバムが録音された1963年、スタン・ゲッツは落ち目だった。50年代クール・テナーの旗手として稲妻のようにジャズ界を駆け抜けたゲッツは、クスリでぼろぼろになっていた。新機軸を求めて1962年にチャーリー・バードと録音したのが『ジャズ・サンバ』。このアルバムからは<デサフィナード>がシングル・カットされ、これがポップ・チャートの上位に進出する。ボサノヴァという新しいムーヴメントがおいしいと思ったゲッツは、じゃあ本場のブラジリアンを招いちゃえ!と。ボサノヴァ側のジョアンたちも、世界進出のステップとしてゲッツの参加を受け入れた。録音までになそんな背景があったのではないかしら。
で、いざレコーディングとなると最悪だったらしい。
ジョアンは、ゲッツのテナーの独特の臭みを嫌悪し、ゲッツはゲッツでボサノヴァの微妙なニュアンスを無視して「俺が主役」とばかりに吹きまくって、ボサノヴァの持つ微妙なニュアンスをかき消してゆく。確かに、ゲッツのテナーは、ぼそぼそと呟くような歌とクールなリズムを趣とするボサノヴァという音楽と調和しているとは言いがたいかもしれない。かといって違和感や不協和音とは少し違うこの絶妙のスタン・ゲッツの浮き加減。個人的には、コシのないそうめんのようなさっぱりしすぎる演奏にコクと脂を添えて歯ごたえを作り出しているように思う。
ボサノヴァファンの中にはこのアルバムをこき下ろす人が多いらしいけれど、それはわかる気がする。そうめん好きにコシや脂が邪魔でしかなくって、コシや脂好きならうどんやラーメンを食えばいいものね。
コンビネーションっていうのは本当に難しい。けど、お互いが自己主張を譲らずにぎりぎりの妥協点を見出す中でそのバランスが絶妙な時には、こんなに素晴らしい作品が生まれることもある。
中途半端に相手に妥協してお互いの出来るレベルのことしかしなければそれなりのものしか生まれない。がっつり向き合ってこそお互いがお互いを光らせる関係が成り立つこともあるのだろう、なんて思ったりする。
スポンサーサイト
http://goldenblue67.blog106.fc2.com/tb.php/394-27459f7d
トラックバック
コメントの投稿