Live In Greenwich Village Albert Ayler
3月20日フリーカメラマンの鴨志田穣さんが腎臓癌のため亡くなられた。42歳だった。
アルコール中毒を克服して西原理恵子さんと復縁したと聞いていたが、こんな結末もじゅうぶん想定した上でともに暮らしていたんだと思うと泣けてきた。
最後になってしまった鴨志田さんのブログで、こんな会話があった。
「何、何かおもしろい記事でもあったの」
「ああ、これ。行ってみたいと思わない?」
インドネシアの農民がマグロの大型遠洋漁船に乗りこんで、漁師になる、という話だった。
「もともと漁師と違って農民だから金を蓄える。漁民は儲けた金は一晩で使うが、農民は蓄える。土地を買う。牛を買う。次にトラクターを買う。家を建てる。農民は成功者が多いから乗り組み希望者が今は順番待ちの状態だ。日本船も我々も助かる。農民も潤う。良いビジネスだ」
と、現地派遣会社社長の言葉が添えてあった。
「どう、おもしろいでしょ。日本だと『マグロ船に乗るか』が脅し文句だけれど、インドネシアじゃサクセスストーリーなんだよ。まぁ、ステレオタイプの話で失敗した男たちもたくさんいるだろうけれどさ。その失敗した男たちの話ってのを取材したくなってね」
「あんたじゃないの。まんま。あんたの人生そのものです」
「そうかなぁ。お、俺は、俺たちは二人とも漁師だと思ったんだけど・・・」
「あははっ、そうかあ、二人とも漁師だあ。先のことなんて考えられないもんなぁ」
この会話の雰囲気はすごくよくわかる。
そして、二人ともなんて強いんだろうと思う。
鴨志田さんの訃報のあとから気になっていたのが、毎日新聞日曜日連載の西原さんのまんが「毎日かあさん」。果たして西原さんはこの状況でまんがを書くのだろうか?あれだけ強いヒトだから、書けるのかも知れない。少しドキドキして今朝新聞を開いた。
そこには、「しばらくお休みします」とのお詫び記事。
正直、ほっとした。あの西原さんでさえ、そんなに強くはないものだということに。
鴨志田さんのような、周囲も自らも省みることなく、そのときに自分を突き動かすことに向かって気の向くまままっすぐに生きてきた人生。それはそれでありなんだと思う。周りにとっちゃ大迷惑なんだけど、本人はけっこう幸せに人生を全うしたのかもしれないな。
さて、音楽の世界にもそんな無鉄砲な男はたくさんいた。
例えば40歳で肝臓癌で亡くなったジョン・コルトレーン。
クスリに溺れながら比類なき演奏力で自らのスタイルを築き上げ、ヘロインを克服し、自らの世界を確立し、晩年はインド哲学に傾倒し再びLSDに手を出し、オーネット・コールマンやアルバート・アイラーなどのフリー・ジャズに影響を受けた新しいジャズを切り開こうとしていた。
そのアルバート・アイラーがコルトレーンのお葬式で演奏したのがこの歌。
ヴァイオリンも含めた混沌としたフリークトーンと突拍子もないフレーズの嵐の中から、伝統的なニューオーリンズのマーチングバンドのようなメロディーが可憐な一輪の花のように浮かび上がってくる刹那が美しい。
このノイズの中からぽこっと浮かび上がるメロディの美しさは、例えばさきほどの鴨志田さんと西原さんの会話のような、何気ないけど忘れることの出来ない美しい輝きを放っていて…
人生で本当に美しいのは、こんな何気ない瞬間なのかもしれないな、なんて思った。
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