じぶんの詩-A BEAUTIFUL DAY The Whey-hey-hey Brothers
The-Whey-Hey-Hey-Brothers。ぐっさんこと山口智充と、俳優の山本耕史と佐野さんの深夜番組から生まれたコラボ、らしい。その番組は観てなかったけど、数年前の大河ドラマ「新撰組!」はよく観てて、出演メンバーの独特の和気藹々とした雰囲気が好きでした。
どういう経緯でこのコラボが実現したのかは詳しくないけれど、「新撰組!」同様、リラックスして楽しく伸び伸びプレイしたレコーディングの雰囲気まで伝わってくる軽快なロックンロール。
陽射しの強いある日
道を歩いてたその時
俺は自分の存在を
存在に気付いた
It's a Beautiful day
それはいい気分
以下は、佐野さんがこの曲に寄せたコメント。
『世の中には結婚前の「君」や「彼女」について歌った曲は多いが、結婚後の「彼」や「彼ら」について唄った曲は少ない。それは残念なことだ。10代や20代と同じくらい、いやそれよりもっと以上に「唄=詩」を必要としているのは30代以上の「オトナ」たちかもしれない。
この曲の主人公は既婚の男性で父親、マトモに働きマトモに稼いでいる世間から見たらごくありふれた一市民だ。世は格差社会の到来について話している。それはきっと、大事なものは手に入りづらくなり、どうでもいいようなものに金を払い続ける、そんな社会のことを言うのだろうか。経済学者は言う。格差社会では働いても豊かにならない層が出てくる、と。人情からすればこれじゃマトモにやってられない。
この唄はそんな格差社会にあって、しかし自らを発見するに至った幸運な男についてスケッチしてみた。彼は言う。「陽射しの強いある日、俺は自分の存在に、気づいた」。僕はこれだと思う。四の五の言わず「自分」を発見した者の勝ち。他人のモノサシで生きるなんて本当にばからしい。「楽天」や「ノー天気」とはまた違う楽観主義。これがロック。ぐっさん、僕のために「もう一回」唄ってくれ!』
仕事柄、委託会社の20代の若い連中と接する機会がけっこうある。会社の上層部からは「あいさつしない」「身だしなみが悪い」と評判が良くないけれど、実際付き合ってみると、本当に真面目でナイーヴで前向きで一生懸命。誤解を与えるのは、表現がシャイなだけなんだと思う。今でこそ偉そうに言うけれど、俺たちだって20代の頃はあんなだったんじゃないのか?
そんな仕事の日々で、格差社会という言葉は日々リアルに感じている。
正規職員の連中はどっか彼らを見下しているような風さえあって、例えば同じような営業課題を与えられて彼らが頑張って成果を上げると「委託会社さんでもやれるじゃないか」って…。「でも」ってなんだよ、「でも」って。
今ある「格差」はたまたまのタイミングの違いだけでしかなくて、決して実力の差じゃない。正規職員よりも優秀で、もしくはたくさん努力している委託職員やパートさんやアルバイトさんはたくさんいる。今年、息子さんが社会人になるあるパートさんが言っていた。「私よりも息子の初任給の方が多いねんで。あんな半人前の何にもできへんような奴の方が。」彼女は能力も高く責任感も強く正規職員同等、時にはそれ以上の仕事をしている。しかも家庭でのあれやこれやも同時並行で。私はパートだから、なんて言い訳はしない。まったく彼女の言うとおりだと思う。
彼ら・彼女らが、自分たちより安い賃金で厳しい労働条件で働いてくれているからこそ自分たちがごはん食べれているんだっていうこと。そのことを忘れて安穏としているといつか大きなしっぺ返しを食らうと思うよ。
まぁ、そんな話はどうでも良いけれど、彼らはまだまだ自分の将来に確信が持てないままの暮らしを強いられているように思う。
稼ぎは少ないし将来が安定しているとは言いきれない。このまま10年も20年もこんなふうに働いていけるのかな、って不安になることもあるだろうし、決心がついてここを離れていく奴も出て来るんだろうけれど、例えばこの歌に歌われたスピリットのようなものをどうか持ってくれたらな、って思う。
夢に描いたような人生とは違うかもしれないけれど、小さな存在かもしれないけれど、今ここで起きていることをありのままに受け入れて楽しむことが出来る。そんな風に思える人生が、稼ぎよりも安定よりも一番の幸せなんじゃないかって、最近本当にそう思う。
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