高校野球もオリンピックも終わり、子どもたちの夏休みももうすぐおしまい。 あれだけ厳しかった真夏の陽射しもこのところすっかり勢いを潜めた。 朝晩はすっかり涼しくて、数ヶ月ぶりに暖かい布団に包まって眠る幸せを、ずっと満喫していたくなる。 今年の夏は暑かった。仕事もとても忙しかった。その疲れがどっと出ているのか、いくらでも眠れる気がする。いくらでも眠っていたい。 過ぎてしまえば、パッとしない、充実感よりも疲れの方が残ってしまった夏だった気がするのは、反町ジャパンや星野ジャパンのあまりにもふがいない戦いぶりのせいではないけれど、日々の生活がパッとしないだけに残念な結果だった。勝ち負けはともかく、もう少し張りのあるピリッとしたゲームで盛り上がれることを期待していたのに、不完全燃焼感だけが残ってしまった。 彼らの戦いぶりのふがいなさは、個々の力の無さではなかったと思う。しかし、スポーツに限らず世の中は、技術を磨き積み上げ策を練れば自ずと勝てる、というものではない。彼らのふがいない戦いの原因はひとことで言ってしまえば「夢の大きさ」或いは「夢を信じる力」の差ではなかったかと思う。言いかたを変えれば、「夢を見る力を侮っていた」ということ。夢を実現するための必死の努力に値するだけの夢を彼らはこの大会に見出していなかったのではなかったのか、と。金メダルという目標は、期待され与えられた目標或いはノルマではあっても、自発的に心のうちから出てきた夢、何としても勝ち取りたい夢ではなかったのではないか。それは重圧にこそなれ、不撓不屈の力にはならなかった。そんなことが、最後は簡単に諦めてしまったような戦いぶりになってしまった背景ではなかったか。 今自分自身 が陥っている不完全燃焼感も、実は同じようなものかもしれない、と思う。今やるべきとされていることは、本当に自分自身の心のうちから湧き出た思いのあるものなのか?という疑念に少し困惑している自分がいる。 与えられたノルマをなんとか消化しているだけならば、エネルギーが湧いて来ないのも無理はないのかも知れない。 まぁいい。とりあえず夏は終わろうとしている。 今しばらくは、過ぎていく夏をぼおっと静かに見送ることにしようと思う。 やがて、秋が深まる頃には、今は形の見えない何かがきっと湧き上がってくるだろう。 そんなわけで、過ぎゆく夏に捧げる5枚。 天架ける橋/古謝美佐子 元・ネーネーズの唄者、古謝美佐子さんのソロアルバム。喜びも悲しみもすべて受け止めてきたからこそのこの歌の深み。古謝さん自身が歌うことで癒されていることがありありと伝わるからこそ、聴いている側も心から癒される。
On the Beach/Chris Rea 誰もいない浜辺のラジオからそっと聞こえてくるような、甘く、切なく、ほろ苦いメロディ。
その独特の陰り、大人のセンチメンタル。
Pet Sounds/The Beach Boys とっても幸せな夢のように美しい音楽の宝石箱。
幸せな夢が去った後にふっとよぎるような淋しさや、ガラスの破片のような痛みをも湛えてキラキラと光り輝く。
Songs/Luther Vandross 夏の終わりのように、涼しい風が吹きぬけるような一抹の寂しさと、柔らかな痛みを知る人だけが持つ優しさを湛えた声の人って誰だろう?と考えてたどりついたのが、今は亡きルーサー・ヴァンドロス。時期はずれに食べるスイカのように、水っぽい甘さがほんのちょっとせつない。
麗蘭/麗蘭 チャボの描き出す夏への特別な想い。感傷も苛立ちも怒りも喜びもぜんぶひっくるめて、人生は続いてゆく。夏への想いをかみしめながら、次のステージへと。
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