にんじん 友部正人
♪にんじん
ダーティー・ハリーが歌うのは 石の背中の重たさだ
片目をつぶったまま年老いた いつかの素敵な与太者の歌
その昔 あんたにも 生きるだけ精一杯のときがあったはず
あげるものももらうものも何もないまま
自分のためだけに生きようとした
歌う僕は 汚れた歯茎 ルーム・クーラーの湿った風をかじっている
夕べ彼女は 最後の汽車で 南の町へ行ってしまった
夢はなかったけれど 時には泣きたいほど優しかったよ
僕は夜のセーターに首を絞められ
塩っ辛い涙流してる
どうして君は行ってしまうんだい
どうして君はさよならって言うんだい
どうして君は行ってしまうんだい
どうして僕はさよならっていうんだい
こうしてにんじんみたいに 手足を生やしてると
まるで何もかも 悲しいみたいだよ
このアルバムで歌われる、友部正人の強烈なまでに絶対的な孤独感や社会への違和感。集団からはみだしてしまった疎外感ではなく、まるで生まれたときから背負っているような「独り」であることの意識。それがこの人の表現の核にはいつもある。誰にも頼らない、徹底的に「独り」であるからこそ、「今夜はずっと一緒にいようよ」みたいなセリフが吐けたり、 「トーキング自動車レースブルース 」のような大騒ぎに盛り上がったり、「にんじん」のように改めて襲い掛かる孤独感に戸惑ったりもする。
それにしても、この人の詩のインパクトやイメージの広がらせ方のすごさには感服します。
「僕は夜のスカートに首を締められ 塩っ辛い涙流してる」「手足の代わりに尻尾を生やしてる ふーさん」「あんまり長くひとりぼっちでいて 唇もこんなに傾いてしまった」「あぁ中央線よ空を飛んで あの娘の胸に突き刺され」・・・そんな、よく考えたら意味はないのかもしれない、けど確実にイメージが直接的に伝わる抽象表現。それから、連合赤軍がつかまった日のことを歌った「乾杯」での描写。ディランの英語が英語で理解できたらこんな感じなのかも知れないなぁ。
それと、特筆しておくべきは、友部のギターとハーモニカの表現力。ほぼ一発録音のレコーディングでミスもあるし歌ははずれまくりだが、「長崎慕情」の汽車の音に模したギター、汽笛の音に模したハーモニカ。「乾杯」や「トーキング自動車レースブルース」のトーキングブルースでのバッキングなど、歌の世界を、他のアレンジが不必要なほど完璧に表現している。
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