スプリングスティーンを初めて聴いたのは、高校生の夏だった。 マシンガンのように言葉を畳み掛けるその歌に、憂いを含みかつ情熱的で心の中の何かを呼び起こすようなその声に、軋むギターに、うねるリズムに、サックスの咆哮に、ただただ圧倒された。スプリングスティーンの歌は、それまでに聴いたどんな音楽とも違っていた。僕は一瞬で虜になった。 いわゆる"The Prisoner of Rock'n'Roll"ってことさ。
さて、この[Born to Run] 邦題「明日なき暴走」。 初めて聴いた時からハイウェイをかっ飛ばす、いかれたライダーのゴキゲンなヒーロー賛歌的な歌だとずっと思ってた。「俺たちゃ走るために生まれてきたんだぜ」なんてね。なんてカッコイイフレーズなんだ!って。 ところが、もう少し大人になって、歌詞をじっくり読んでみてどっきり。単純なバイク賛歌なんかじゃなかった。むしろラブ・ソングってゆーかプロポーズ・ソング。こんな俺だけどついて来いよ、って口説いてるわけで。歌の主人公も口説かれてるウェンディも、これからずっと続いていく退屈な毎日にうんざりしている労働者階級で、たった一つの一発逆転を夢に見て、育ってきた田舎町を飛び出そうとしてる。 [Run]って言葉を辞書で引くと、走る以外に運営する・操作するといった意味や、逃避する・流出するといった意味もある。この[Born to Run]は、むしろ「逃げるために生まれてきたんだ」とか「生まれながらの逃亡人生さ」なんて訳すべきなんかな、と。カッコイイフレーズどころか、ギリギリに追いつめられての開き直りというか自虐的な気持ちを含んだ言葉なんだったんだなぁ、と。
Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。 “日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。 自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。
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