Double Fantasy John lennon & Yoko Ono
1980年、中学校2年生だった。歌謡曲以外にもっとかっこいい音楽があることに目覚めた頃。日曜日の朝、FMラジオのヒットチャート番組で№1になった“Starting'Over”を聴いて、ビートルズに興味を持ち出した矢先のことだった。夕方のTVでアナウンサーが言った。「元ビートルズのジョン・レノンがニューヨークで射殺されました」と。そのときはその意味すら解らず、アメリカって恐いな、なんて思っただけだったけど。
サージェントペッパーズの年に生まれ、ジョンがいなくなった1980年に僕等はロックンロールの洗礼を受けた。僕等は、ロックンロールが魂を失った場所から歩き出さなければならなかった。
それは僕等の世代を象徴する出来事だったように思う。
僕らが共に暮らした日々は
とってもかけがえのないもの
そして僕らはまた成長した
今も僕らの愛はとっても特別だけれど
どこか遠くへ一人飛び立って行く
そんなチャンスをくれないか
出会ってからもうずいぶんと時が過ぎた
時が過ぎることは誰も邪魔することなんて出来ないけれど
また君にこうして出会えて
また恋に落ちそうな気分
まるで最初からやり直すみたいにさ
毎日毎日僕ら愛を交わしあったものさ
なぜあんなふうに素敵に簡単に愛し合うことができなくなったのか?
翼を広げ飛び立つ時が来たんだ
別々に過ごした日々のせいにしないで
もう一度最初からやり直すみたいにさ
なぜ一人で旅立たないのかい?
どこかずっと遠い場所へ
いつかまた一緒になれるさ
最初に出会った頃のようにね
出会ってからもうずいぶんと時が過ぎた
時が過ぎることは誰も邪魔することなんて出来ないけれど
また君にこうして出会えて
また恋に落ちそうな気分
まるで最初からやり直すみたいにさ
僕らが共に暮らした日々は
とってもかけがえのないもの
そして僕らはまた成長した
今も僕らの愛はとっても特別だけれど
どこか遠くへ一人飛び立って行く
そんなチャンスをくれないか
(Just Like Starting Over)
レノンのソロ名義で書かれたどんな曲よりもなんらかふっきれたように軽くしなやかなサウンドを持ったこの歌。長いトンネルに終わりを告げ新しい世界へ旅立つための歌(まさかその新しい世界が二度と戻ってくる音のない世界だとは思いもしなかっただろうけれど。)
「ジョン・レノン・ラスト・インタビュー」の中でジョンは、この歌は50’Sポップスへのオマージュだと言っている。エルヴィスやロイ・オービソンのようにほっぺたを中から舐めているように歌ったとも。
そう、ジョンはいつだって、どんなシリアスな時だってほっぺたを中から舐めていた。ビートルズの幻影や愛と平和の活動の幻影を求めて群がる人々を軽くかわすように、いつだって粋なジョークを連発していた男・ジョン。そんな彼が、幻影を追い続けるファンの男に殺されたのは皮肉としか言いようが無いけれど、そんな皮肉でさえなんだかジョンらしい気がしてしまうのだ。
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