食語のひととき / 早川 文代 なんとなく図書館で手にとったこの本。
「食」にまつわる日本語についての考察が簡潔にまとめられていてとても楽しかった。
シャキシャキ、まったり、こんがり、さっぱり、淡い、香ばしい、まろやか、なめらか、とろり、さらさら、ふわふら、カリカリ、サクサク、もそもそ、ジューシー、ネバネバ、しゃりしゃり、こりこり、ぐびぐび、つややか、ふっくら、しっとり、こんもり、プリプリ、ほくほく、こっくり、ほかほか…パラパラとタイトルをめくっているだけでも楽しい。こんなにも「食」にまつわる日本語の表現がたくさんあるのか、それもなんと的確にそのニュアンスを表わしているものかと感心する。
“さっぱり”は「爽やか」の「さわ」を強調したもの、“まろやか”は「円やか」、“あっさり”は「浅い」、“ねばねば”の「粘る」はそもそも「根を張る」から。
“つるつる”は唇で感じる食感で、“シコシコ”は奥歯で感じる食感。
“つるり”と“ぬるり”と“ずるり”の微妙な鮮度や舌触りの違い。
そんな考察の一つ一つに、いちいちなるほどと肯かされる。
日常生活の中で何かの感想を人に伝える時、ついつい“よかった”“イマイチだった”“楽しかった”“おもしろかった”“嫌い”“大好き”…みたいな、主観に基づいた判断の結果だけを伝えてしまいがちだ。食べ物なら“おいしかった”“まずかった”。若い世代だったら“超やばい”とか“激うま”とかね。
この本を読んで改めて思ったのは、それじゃ何も伝えたうちにはいらない、ということ。
記憶は、言葉にした感想の中にではなく、もっと細部に宿る。
ふとしたときに思い出すのは、「おいしかった」という言葉ではなく、もっと具体的な感覚だ。
例えばキーンと冷やしたみずみずしいトマトをそのままかぶりついたときの、青臭くもどこか落ち着くような甘い香りや、皮がぷしゅっとやぶけた感触や果汁がどっとあふれ出てくる心地よさや、果汁をこぼさないようにジュジュジュッツと吸いつくときの唇の感触や、爽やかな酸味がのどを通るときのうれしさ…そんな五感のすべてなのだ。
何も考えず何も感じずに口にすればただのトマト。でも五感をフル回転すれば、その瞬間瞬間にいろんなカラダの器官がいろんな喜び方をしていることがわかる。
このところ忙しくて、そういう感じ方をまるでおろそかにしていたことを反省。
自分のフィルターを通した結果としての感想だけではなくて、自分のフィルターを通るとき、カラダが、ココロが、どう反応したのか、そのことにもっと意識的でありたいものだ。
だって、そのほうが絶対に豊かだもん。
いくらお金があっていいものを買ったり食べたりできたとしても、そのよさをカラダとココロで受け止めることができなければそれは全然豊かじゃない。
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