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♪goldenblue的“日本のロック 70年代ベストアルバム”

先日の<♪goldenblue的“日本のロック 80年代ベストアルバム”>が楽しかったので、「そうだ!この50枚に70年代から25枚、90年代以降から25枚を追加して、“日本のロック ベスト100”にしてしまおう!なんてビールを飲みながらご機嫌で考えてしまったのが今思えば失敗の元だった…。

1970年代。僕は3歳から12歳。ただの子供だった。
思い返しても、音楽を意識的に聴いた記憶が実はない。
初めて買ったレコードは、兄貴と一緒に買った中村鋭一が唄う「六甲颪」(※注1)だった。童謡、唱歌以外で記憶にあるのは、天地真理やアグネス・チャンからはじまって、キャンディーズや山口百恵や西城秀樹や沢田研二のヒット曲。或いはドリフのカトちゃんの♪ちょっとだけよ~や志村の東村山音頭。あとはテレビドラマの主題歌とアニメのテーマソング。カップルを指差して♪ジャジャッジャッジャージャジャ~アンタ、あの娘のナンなのサ、なーんて茶化して遊んでいたけれど、それは音楽として聴いていたわけではなかった。家の裏に住んでいた大学生だった親戚のおじさんが確か吉田拓郎やらかぐや姫を聴いていたし、友達の家に遊びに行ったら年上のお兄さんの部屋にビートルズのポスターが貼ってあったり、そういう世界があるんだということは知ってはいたけれど、それはまるでまったく自分とは関わりのない世界だと思っていた。
歌謡曲以外の音楽が耳に入ってくるようになったのは小学校5、6年になってからかなぁ。まわりの、特に女の子たちがベイシティローラーズだとか、ゴダイゴだチャーだ世良公則だ原田真二だと騒ぎだした。3つ上の兄貴がアリスのレコードを買ってきた。修学旅行ではみんなで♪今何時っ?そーねだいだいねぇ~、なんて大合唱し、教室でホウキをスタンドマイクにして「あんたのバラード」の真似をした。テキトーな英語で「モンキーマジック」や「ガンダーラ」を歌った。

…要するに、70年代、僕は純粋に子供だったのだ。
従って、今回選んだリストのものは全部「後追い」的に聴いたものばかりである。
意外と難しい作業だった。
ほとんどは20歳過ぎてからレコードではなくCDで聴いたもの、ある程度の自分の嗜好が判った上で自分の好きなアーティストのルーツを辿る感じで聴いたものや、友達からすすめられたもの。
80年代に多感な時期を過ごしていなかった人のセレクトに対して僕が憤りを感じたように、どう考えたってリアルタイムで70年代に青春時代や思春期を過ごした方々が選ぶもののほうが素晴らしいに決まってる。だったらわざわざ選ぶ意味すらないじゃん、などとも思いつつ、最終的に選んでしまった25枚は、あくまでも個人的なもの。80年代に日本のロックで育った一人の、70年代への敬意と捉えていただければ幸いです。


<1971年>
風街ろまん 
はっぴいえんど 「風街ろまん」

<1972年>
大瀧詠一  初期のRCサクセション  頭脳警察セカンド  モップスと16人の仲間 
大瀧詠一 「大瀧詠一」
RCサクセション 「初期のRCサクセション」
頭脳警察  「頭脳警察セカンド」
モップス  「モップスと16人の仲間」


<1973年>
ライブ+1  HOSONO HOUSE また見つけたよ
村八分 「ライブ」
細野晴臣  「HOSONO HOUSE」
友部正人 「また見つけたよ」


<1975年>
この熱い魂を伝えたいんや(紙ジャケット仕様)  ぼちぼちいこか+6tracks(紙ジャケット仕様)  有頂天  SONGS
上田正樹とサウス・トゥ・サウス 「この熱い魂を伝えたいんや」
上田正樹と有山淳司 「ぼちぼちいこか」
サンハウス 「有頂天」
シュガーベイブ 「SONGS」


<1976年>
シングルマン “1976” 生聞59分 ライブ We got to・・ 生まれたところを遠く離れて
RCサクセション 「シングルマン」
友部正人 「1976」
憂歌団 「生聞59分」
金子マリ&バックスバニー 「ライヴ」
浜田省吾 「生まれたところを遠く離れて」


<1978年>
80のバラッド 翼あるもの(+1)   MIGNONNE
泉谷しげる 「,80のバラッド」
甲斐よしひろ 「翼あるもの」 
大貫妙子 「MIGNONNE」


<1979年>
都会のランナー マラッカ  (紙ジャケット仕様)   FREE SPIRIT SHOGUN Waoo・・・(紙ジャケット仕様)
泉谷しげる 「都会のランナー」
PANTA 「マラッカ」
ジョニー・ルイス&チャー 「FREE SPIRIT」
SHOGUN 「ローテーション」
誰がカバやねんロックンロールショー 「WAOO・・・」





【 70年代日本のロック25枚を選ぶに当っての個人的なMEMO 】

・この25枚のうち一番最初に聞いたのはRCの「シングルマン」。レコードで聴いたものはこれと、同じくRCの「初期の・・・」と、浜省の「生まれたところを遠く離れて」だけだったと思う。“路地裏の少年”に出てくる主人公は自分と同じだと思った。

・村八分、サンハウス。聴いたのはずいぶん後のこと。もう聴く前からVIPだった。良いに決まっていると思って聴いているから当然良いに決まっている。でも、良いと思い込んで聴いているからそれ以上の衝撃はなかったというのも正直なところ。孫や曾孫が初めて爺ちゃんに会った、って感じだった。

・むしろこりゃぁスゲェ、と思ったのは友達に貸してもらったモップス。日本人にしかできない音、日本人にしかわからない音、のような気がした。

・はっぴいえんどにはのめりこまなかった。むしろ大瀧詠一のファーストソロや細野さんのファーストソロの貧乏臭さが好きだった。大学生の頃、リアルに貧乏で、ヒマだらけだったのでかなり共感できた。

・頭脳警察をよく聴いたのは最初に就職していた頃。一番銃をぶっぱなしたかった頃だった。

・サウス・トゥ・サウスは衝撃的だった。既にオーティスは聴いていたけれど、上田正樹ってやっぱりホンモノだったんだと思った。クンチョウの歌う“ラヴ・ミー・テンダー”、今聴いてもしびれる。

・ブルース・バンドを最初に見たのは憂歌団。大学生の頃、京都ではしょっちゅう演っていたから、何度も見に行った。“嫌んなった”や“パチンコ”や“君といつまでも”はその頃もライヴの定番だった。甲子園球場と同じ、客席からのヤジが楽しかった。最初にカントリィ・ブルースを見たせいか、ハードなブルース・ロックのバンドにはあまり興味を持たなかった。憂歌団と同じく、ブルース・フィーリングを忠実に翻訳した「ぼちぼちいこか」は大阪の文化遺産だと思った。

・友部正人を知ったのは友人の弾き語り好きの男から。そいつが歌っていた歌がめちゃくちゃ凄くて、「オリジナル?」って尋ねたら照れた顔で友部のレコードを貸してくれたんだ。その言葉の凄さに思いっきり衝撃を受けはまってしまった。“どうして旅に出なかったんだ”を聴いて、会社を辞めて旅に出た、24歳のとき。

・泉谷の2枚は、「明日なき暴走」のスプリングスティーンと同じニオイがする。

・ジョニー・ルイス&チャーも、ある友人の顔が浮かぶ名作。奴の家に行くと必ず最後にはこれがかかった。レコード盤を大切に拭きながら。いや、確かにかっこいいよ。奴はどうしてるんだろうかなぁ。

・SHOGUNと誰がカバやねんロックンロールショーは、かろうじてリアルタイムの70年代よりのセレクト。どっちもその当時ちゃんとアルバムを聴いたわけではないけれど。テレビで見た探偵物語の工藤ちゃんのかっこよさはSHOGUNのテーマソングのかっこよさと共に記憶に焼きついている。或いは誰カバ(※注2)のとんでもなくふざけたそれでいてとても真剣な遊び方は意外と僕にとってのロックンロールの原点だったかもしれない。


(注1)中村鋭一…朝日放送のアナウンサー。1971年から「おはようパーソナリティ中村鋭一です」のパーソナリティとなった。阪神タイガースが勝利した翌日には、必ず六甲おろしを熱唱したことで知られ、阪神ファンから絶大な支持を集めていた。

(注2)誰がカバやねんロックンロールショー…1979年、関西テレビで金曜19:00~19:30に放送されていたテレビ番組。毎回ダンシング義隆率いる「誰がカバやねんロックンロールショー」が登場し、こってこてのふざけたロックンロールをライヴ演奏していた。


【追記】
一枚、とてもよく聴いたレコードを入れるのを忘れていたことに気がついた。
甲斐よしひろの「翼あるもの」。ジャックスの“サルビアの花”や憂歌団の“10$の恋”など日本人の歌のカバー曲集。中でもザ・ピーナッツの“恋のバカンス”が渋いブルース風になっていて、アレンジと歌い方で同じ歌がこんなにも変わるもんだ、と目からウロコが落ちたアルバム。今巷にあふれるカバー集の原点的という意味でも歴史的なレコードかも。



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コメント

[C113] Re:

オギテツさん、コメントありがとうございます。
“鈴木慶一とムーンライダースの<火の玉ボーイ>”、たくさんの方が絶賛するアルバムですね。ムーンライダースはある一時期はまったのですが、この盤は残念ながら聴いてないのです。その頃には手に入りませんでした。
今から聴いてもきっとオギテツさんが感動したようにココロ震わされることはないのだろうな、と思うとなんだかとても悔しいので(笑)、今更聴かない方がいいのかもしれない、と思ったりしています。

[C111] ムーン

76年に、鈴木慶一とムーンライダースの<火の玉ボーイ>が、入っていないのが、淋しい…。

オギテツ

[C109] Re:

ezeeさん、毎度です。
いやぁ、70年代、難しかったです。誰カバは今や、さんまの初司会番組だったとか紳助もレギュラーだったとかで伝説の番組化してますが、さんまも紳助もほとんど記憶ないんですよねぇ。“ダダダダダダダダ”と“ワオーン!”のインパクトが強すぎた(笑)。テレビと言えば夕方のヤングOH!OH!にもたくさんバンドが出ていましたね。スペクトラムとか「なんじゃこりゃ??」とうなった記憶があります。
こうして見てみて思ったのは、我々の世代は、高度経済成長を遂げた日本人の嗜好がカビくさく湿っぽいものからあかぬけたものへ動く中で、ロックが異端ではなく商売になりえるものとして一気に広がっていく時代の転換期とともに育ってきた、ということなんだなぁ、なんてことでした。
  • 2010-09-01 08:17
  • goldenblue
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  • 編集

[C108]

来ましたね。70年代!
といっても78年以降のサザン&ツイスト、工藤ちゃんくらいからしかリアルタイムやないんですよね
後聴きですが、サウス・トゥ・サウスとCharは個人的に断トツです! カッコええっすな~
誰カバは8ちゃんでやってましたね。さんまとか出てましたな。あ~懐かし

[C107] Re:

名盤さん、こんばんは。コメント、ひょっとして仕事中に書いてます(笑)?
今回振り返ってみて、我ながら健全な子供だったんだと思いました(笑)。あの頃もタイガースは、強いのに詰めが甘いチームでした。藤田、中村、掛布、田淵、池田、佐野、ラインバックにブリーデン。ピッチャーは安仁屋、山本和、上田二郎、そして江夏。トレードで来た江本。ええ選手がたくさんいましたね。
90年代以降編もここまで来たらやるつもりですが、ピックアップしてみて改めて、新しいものを全然聴いてないことがわかり愕然としています。さて、どうなることやら。記事、楽しみにしています。
  • 2010-08-31 23:19
  • goldenblue
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[C106] Re:

LA MOSCAさん、こんばんは。
70年代、難しかったです。やっぱり80年代とは思い入れが違いますね。90年代はもっと難しそう・・・。
たくさん書きましたがベスト3は不動です。RCの“シングルマン”と、泉谷の“,80のバラッド”と、友部正人の“1976”。ほんとはこの3枚だけでよかったかもしれないくらいです。ぜひ機会があれば。
  • 2010-08-31 23:04
  • goldenblue
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  • 編集

[C105]

僕が最初に買った(買ってもらった)LPは阪神タイガース関連曲を集めたもので、もちろん六甲おろしも入ってました。
あの頃はやっぱりタイガースが一番の関心でした。
70年代の邦楽はあまり聴いていないので、今度は90年代でセレクトしてみようかなと思ってます。

[C104] またしても

先越されちゃった!
俺は60年代と70年代はgoldenblueさんが言っておられる理由もあってやらないと思うけど、90年代と00年代は近日中にやろうと思ってます。
レココレに先駆けてやるつもりだったのに、貴方に先を越されるとは・・・(笑)

選出されてるアルバムは聴いたことないのが多いんですが、この辺が聴きたくなった時の参考にさせて戴きますね!

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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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