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◇「りすうか」、想像力と論理力

前回の記事でシェーンハイマーの学説を説明しながら「1937年」「シェーンハイマー」「動的平衡」にマーカーでアンダーラインを引きそうになった。それから「生物が生きている限り、栄養学的欲求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質とともに変化して止まない。生命とは代謝機械の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。」という言葉は穴埋め問題にでもなりそうなので丸暗記してやろうか、とか。
だっていかにも先生が黒板叩きながら「ここテストに出ますよ~!」なんて言いそうじゃないですか!
あぁ、悪しき受験用詰め込み教育の亡霊!!
こんなことを思ってしまうのは、このところやたらテレビで予備校夏期講習のCMが流れるせいだろうか(笑)。


おはよう奥さん増刊 りすうかvol.1 2010年 07月号 [雑誌]

りすうかvol.1 2010年 07月号 [雑誌]


この雑誌は、学研から創刊されたばかりの「小学生と家族が理科と算数に強くなるマガジン」なんだそうだ。
3年生の娘はこの春から「科学教室」に通っている。顕微鏡をのぞいたり、光のプリズムを見たり、ミニトマトの苗を育てたり、風力でモーターを回すおもちゃを作ったりして、それはなかなか楽しそうだ。
で、そこの先生にすすめられて買ってきた雑誌がこれ。
子供向けではあるのだけれど、大人が読んでもかなり楽しい。


小学生の頃は、勉強は嫌いじゃなかった。知らなかったことを知ることはむしろとても楽しいもので、親戚のおじさんなんかが「勉強なんかきらいやろ」とか言うのに口裏を合わせるのがどうも苦手でとても困ったりしたのだ。けれど、そんな僕も思春期を迎えてから、どんどんと嫌いな科目が増えていった。
それは簡単に言えば「何のために勉強するのか?(させられるのか?)」という疑問からだったのだと思う。
特に化学・物理・数学。
教えられることに何の意味があるのかが理解できなくなっていった。その数式や公式を覚えたところで実生活で何の役に立つって言うんだ??サイン・コサイン・タンジェントや因数分解を使って役に立つ場面が果たしてこれからの人生にあるのだろうか??どう考えても意味があるようには思えなかったのだ。
他の教科は一夜漬けの丸暗記でなんとかなったとしても、化学や物理や数学の試験問題では通用しないから、成績も当然ボロボロだった。理数科は、論理を正しく理解できていない限り解けるはずもないものだ、と今ならそう思う。

中学校の社会科の先生はある授業でこんなことを言ってくれた。
「歴史の試験なんて年号覚えるものと思ってるでしょ?ほんとはね、そんなもの覚えなくていいんです。だって調べりゃ書いてあるんだから。歴史という教科は、人類がどんな経験をしてきたのかを知ることで今の現在の世の中に役に立つことを見つけるためのもの。大切なのは人類の社会がどんな経験をしてきたのか、なんですね。Aという事件があってBという事件がある。それがCということに発展したりDという文化を成熟させたりする。逆はないんです。そのことをちゃんと理解すればAの事件とBの事件の順番を間違えるなんてありえないでしょ。大事なのは年号覚えることじゃなくてそっちなんですよ。」
その言葉を聞いてから、授業がもっと面白くなったし、授業だけじゃ飽き足らないような興味も湧いたりした。
国語の先生は、「言葉をたくさん知っていればいるほど、自分の気持ちを正確に言い表すことができるようになります。自分の思ったことをうまく伝えられないよりはうまく伝えられた方がいいでしょう?」みたいなことを言っていた。これも結構納得してもっといろんなことを知りたいと思った。
その点、理数系の教師はみんな理数バカでボキャブラリー不足だったから(失礼、でも事実…笑)、「こんなこと勉強しなくちゃならない意味がわからない」という、誰もがぶち当たる素朴な質問をちゃんと受け止めもせずに「受験に必要だから」「ぐだぐだ屁理屈言わずにとにかくやるんだ」なんて押し付けるもんだから反発も手伝って余計に興味を失ってしまったんだよなぁ…。
せめて、シェーンハイマーの学説でも語って「生き物って不思議だよなぁ」なんて遠い目で語るとかでもしてくれればなぁ。少なくとも僕たちが聞きたかったのは「ここテストに出ますからね!」なんて言葉じゃなかったんだ。



さて、ところで、理科や算数は何のための学問?
そんな長年の疑問の答えが、パラパラとめくっていたこの雑誌に載っていたのだ。

北原和夫さんという国際基督教大学教授が寄稿した「理科算数の先にあるもの」という文章。
要約すれば、人間は、「自然の背後にある仕組みをイメージ(想像)して、次に何ををするべきかを考えること(論理)」ができたから、太古から現在まで生物どうしの厳しい競争に勝ち残り生き延びてこれたのだということ。学校で勉強することには必ず「正解」があるが、社会に出ると実際の問題に答えがひとつだけということはありえない。「答え」よりも「問題がどこにあるのか」を見つけ出すことが重要になってくる。人生において本当に大切なのはこの能力なのであり、「問題を見つける能力」を鍛えるためには「想像力」と「論理力」の2つの力が必要になる。
つまりは、理科や算数という教科は、見て驚き気付き考えることを学ぶための教科なのだ、ということ。

今更ながら目からウロコが落ちた。

「実社会では想像力と論理力が一番大切」、ほんとそのとおりだと思う。
実社会では、問題も正解も誰も教えてくれない中で、正しい方向を見つけ出さなきゃならないのだ。
どんなに勉強が出来たって知識があったって、そんなものは世の中ではせいぜい余興に過ぎない。今の世の中知識なんて全部パソコンが知っている。人間がしなくちゃいけないのはその知識を、想像力と論理力を駆使してしっかり組み立てていくことだ。
「問題を見つける能力を鍛える教科」か。
学生の頃にそんなことを少しでも語ってくれる先生がいたら、あんなに理数嫌いにならなかったのになぁ、なんだかもったいなかったなぁ、と今更ながらつくづく思うのだ。



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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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