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キリンに雷が落ちてどうする/品田遊



キリンに雷が落ちてどうする/品田遊

ダ・ヴィンチ恐山という名前でnoteの有料記事として連載された日記を編集した本。
読書というよりはブログを斜め読みしている気分で、一気読みせず、数ページずつ読んでいくのが楽しかった。

いろんなブログを読むのは、人それぞれいろんな考え方感じ方があるよなぁ、というだけでも楽しいものだけど、品田遊の考え方や発想の角度はかなり個性的というか、普通はひらめいても忘れてしまうような些細な思いつきを作品レベルまで昇華させてしまうところが異次元だ。
日常で起きる些細な物事に対するちょっと斜めの角度からの発見から哲学的思考へと流れていくようなものが、ある種のユーモアを交えて表現されている。
まとめてしまうととそういうことなんだけど、そうまとめてしまうと、なかなかこの本のおもしろさは伝わらないのだけど。

僕はもう15年以上も週2、3のペースでブログを書いているのだけど、“ひらめき”がうまくはまったときの快感はわかる気がする。
ひらめくことはあるんだけど、だいたいはそううまく表現できずにそのまま忘れてしまうものなんですよね。
“ひらめき”がうまく構成まで持っていけた瞬間というのは、ブログを書いていて一番楽しい瞬間で、そういう楽しさも含めて、“考え”を文章に転写するということは楽しいことだけれど、実体がなく曖昧で液状や気体状に近い“ひらめき”や“考え”を平面的存在である文章にするということはかなり難しく、たいていはうまく表現できない。

品田遊の文章は、その“ひらめき”“考え”再現率がかなり高いのではないかという点で異次元。
また、そこに仕込まれたある種の悪意のように日常を逆読みするような姿勢は痛快ですらあった。

どう個性的で異次元なのか?
一部引用してご紹介してみます。

自分以外の人間がみんな自我を持っていると思うのが怖い。街をゆく人それぞれ過ごしてきた年月があって、好きな物や嫌いなものがあって、今日の夕食何にしようかなとか考えているのかと思うと、情報量が多すぎて気が狂いそうになる。
(他人)

真の意味で他人の気持ちを知覚することは不可能なのだし、むしろ「わからない」ということは他人の他人たる条件だとすらいえる。「相手の気持ちになる」とは、実際のところ「自分が相手の立場だったらきっとこう思うだろう」をシミュレートしているにすぎない。
これは自我を勝手に仮想の他者に移植しているようなものだ。考えようによっては、理解ある態度の対極にある押し付け行為にも思える。
(叩かれる)

「不眠症や発達障害はサブカルだが、痔や腰痛はサブカルじゃないから嫌だ」みたいな元も子もない感覚ってやっぱりある気がするんだけど、それは「精神的かどうか」の違いかもしれない。サブカルであるということは精神的であるということで、健康でいたがるということは非精神的な妄想の虜であるということだ。
(精神)


こういう斜めからの特殊な発想をする人のことを、他の人はどんなふうに受け止めるんだろうと、読書メーターやアマゾンのレビューを見てみたら、この感想がほぼ絶望的にくだらなかった。

こういう発想をする人はすごいなぁ、感心した、のレベル。

そうじゃないんじゃないかな。

この本は、ありきたりの既成の考えにのっかって日常を安穏と過ごしている人たちへのある種の冷笑であり当てつけであり場合によっては劇薬を飲ませようとするようなものだと僕は思ったんだけど。
そういう意味では「おもしろくなかった」「自分にはわからない」という感想の方が真っ当なような気がする。

当たり前の日常、いつの間にか刷り込まれている既成概念をただただ従順に受け入れて過ごしている人たちへ、それでいいのかと暗に問いかけてくる品田遊の独特の文章。問いかけている意図はないにしても、品田遊本人はそういうものはつまらないと感じている。
既成概念というものは進歩を阻害する悪弊もあるけれど、そこを疑ってしまうと社会の基本ルールが信用できなくなってしまう。

自らが依って立つ社会の基礎が信用できないということはとてもアナーキーなことで、人格の基礎がしっかりしていない人がこれを素直に受け取ると人格崩壊を起こしかねないのではないか。
品田遊がやっていることはそういう意味では極刑に値するほどの悪だ。
この極悪さは、ある意味エルヴィスやストーンズやピストルズや清志郎がデビュー当時に社会から叩かれたのと同じような極悪さではないだろうかと思ったりもするのだが、これは伝わらない比喩かもしれないなぁ。

などなどと、そんなことを思いながら、ムフフと笑いながらまた別の章を読んでしまっていたりする自分がいる。
せっかく真っ当な社会人のふりができているのだからこういうものに影響を受けたくないと思いつつ、また次のページをめくってしまう。
危険な本であることは間違いないが、そもそも安全な本など読む意味がない。





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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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