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Snow



雪が覆い隠す
僕たちのよく知っている世界を
僕たちがよく行ったあの小さな公園は
雪の下で眠りについた

行ってしまった
全部終わった
けど思い出はまだ生きている
夢は雪の下に
埋められて横たわっている

木々のあいだ
時々風が吹いて
君が僕を呼ぶ声のように聞こえる
でも目に見えるのは…


僕が行く場所はどこでも
お日様が低く沈んだ冬
雪の中をただ一人歩く


(Snow / Harry Nilsson)

1970年にリリースされたハリー・ニルソンのアルバム『Nilsson Sings Randy Newman』。
タイトルのとおり、ランディ・ニューマンの楽曲をニルソンが歌った歌曲集で、この曲はリリース当初はアルバムには収められておらず、2000年のCD再発時にボーナストラックとして陽の目を見たものだ。

この曲はそもそもはランディ・ニューマンがまだシンガーとしてレコードをリリースする前の1966年に、ジョニー・マン・シンガーズというコーラスグループに提供しヒットさせた曲だそう。
また1968年にはクロディーヌ・ロンジェというフランス人の女優がカヴァーしてヒットさせている。





ジョニー・マン・シンガーズのヴァージョンは、荘厳なコーラスが冬の重厚さを醸し出している。
少しさっぱりした感じで、悲しみは現在進行形というよりは追憶といった趣きがする。
クロディーヌ・ロンジェのヴァージョンは、フランス人らしい少し舌っ足らずなウィスパーヴォイスが特徴的で、北風を模したようなストリングスやアコースティックギターのアレンジが冬らしい効果を演出していてこれはこれで素晴らしい。アレンジャーはニック・デ・カロだそうだ。
クロディーヌの歌から聞こえてくるのももちろん、冬の寒さとそこはかとない淋しさではあるのだけれど、ニルソンのヴァージョンはもっと赤裸々で、絶望的なまでの孤独をかみしめている感じがする。のたうちまわるような、或いはへべれけになるような。
ジョニー・マン・シンガーズやクロディーヌ・ロンジェの歌はいわゆるハートブレイク・ソングの趣きだけど、ニルソンの歌は大切な人と死別したような、重い別れのように聞こえる。
演奏はランディ・ニューマン本人によるピアノのみ。
そのシンプルさが、ニルソンの歌の凄みを見事に引き出している。

どれが優れている、劣っている、という話ではない。
秀逸なアレンジと人選による歌の立て方もあれば、その人が歌うからこそ歌の奥深くにある感情が露わになるということもある、ということ。
歌には人そのものの人生が否応なしに投影される。
だからこそ、歌の解釈は歌う人の数だけあるべきだと思う。



十年に一度クラスの最強寒波がシベリアから南下してきているらしい。
明日の天気予報は、最高気温3℃、最低気温はマイナス4℃。
今日の夕方からは雪が降るそうだ。
夜半にしんしんと降り積もってゆくのなら、明日の朝は一面の雪景色になるのかもしれない。

一面の銀世界を前に考えることは、ロマンチックでポエティックなことでもなく、淋しさや絶望でもなく、超現実的なこと。
業務が遅滞なく遂行できるのかだとか、そもそも職場のメンバーがちゃんと出勤できるのかとかそういうことになってしまう今の僕には、人の心に響くような歌など到底歌えないだろう。
社会的責任なんてアホくさーと思う自分と、目の前のミッションに忠実であるべきと思う自分と、どちらも本当の自分であることには変わりないのだけれど。



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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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