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Country Comfort



もうすぐ松が至るところで実を落とすだろう
子供たちがそれを我先にと拾い集める
6時9分発の汽車が川を渡る頃
助祭司のリーは来週の説話の準備をしている
昨日は商店街で祖母に会った
84才の割には元気で何よりだ
納屋をそのうち補修してほしいと頼まれた
農場を運営する人手がなくて困っているようだ

骨身に滲みる古き良き田舎の風情
聴いたことのない甘いメロディーのような
古き良き時代のあの感覚が
トラックに揺られて故郷に戻ってゆく

(Country Comfort/Elton John)


田舎があればよかったのに、と思うことがある。
もちろん僕にも生まれた場所や育った土地はあるけれど、生まれた場所は3才の頃に引っ越したそうで記憶がない。育った土地は大阪の外れのベッドタウンで、残念ながらとても「故郷」「ふるさと」という風情のある場所ではない。
その町では3才から18才までの時期を過ごした。
今思えばたったの15年間のことで、その町を出てから過ごした時間のほうが遥かに長くなった。
その町には今、母が一人で暮らしている。
バブルの時期にも開発は進まず、幹線道路沿いに紳士服やらホームセンターやらファミリーレストランやらのチェーン店がある以外にはなんにもない。ほとんどの施設は幹線道路沿いに集中していて、私鉄の駅前には寂れた商店街がひっそりとあって、その駅までも2kmは離れている母が暮らす地域には、徒歩で行けるコンビニすらないのだ。
住民のほとんどが高齢者で、50年前には子供たちだらけだった公園には人影もない。
母親がらみの用事でこの町に足を運ぶのはとても気が重くなる。
そもそもこの町で過ごした15年にはあまり楽しい思い出はないし、数少ない仲がよかった友達もこの町を離れて遠くの街にいるし、幼なじみももういない。

憧れる田舎は、山と川と田んぼが広がっていて、昔ながらの木造の大きな古い家があるような町。
昔なじみの友達が今も実家の商店を継いでいたり、畑を耕していたりするような町。
たまに帰った自分を変わらない時の流れが迎えてくれるような。
もちろんそんなものは、出ていった人間側の自分勝手な幻想に過ぎないのだけれど、実際僕が育った町の寂れ方はとても残酷な風景だと思ってしまう。

人間の一生が四季に例えられるように、町にも一生があって、僕が育った町の佇まいは、静かに冬を待っている晩秋のよう。
誰もいなくなった公園のはずれで、松は静かに松ぼっくりをポトリと落とし、それを広い集める子供たちはいない。
老女は日がな一日テレビを観て過ごす。







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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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