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Buddy Holly ロックのゆりかご(33)

1959年2月3日。
こんなニュースが報道された。

「アイオワ州クレアレイクでチャーター機の墜落事故が発生。パイロットを含む乗員4名が全員死亡。乗客は全国トップクラスのロックンロール・スター、リッチー・バレンス、J.P(ザ・ビッグ・ボッパー)リチャードソン、バディ・ホリーの3名。」

1956年にデビューしヒット曲を連発していた若き才能は、一瞬にして失われてしまった。
後にこの事件は「ロックが死んだ日」と歌われたけれど、実際のところロックは死ななかった。
バディ・ホリーの死ですらひとつの契機となって次のステージへ進んでいったのだ。





バディ・ホリーの功績はたくさんある。
ひとつは、革ジャンリーゼントではなくスーツと黒メガネというおよそロックっぽくないスタイルでプレイしたこと。
ひとつは、ロックンロールからブルース臭を抜いてよりポップにクリアーにしたこと。
いずれも、社会全体からすれば異端的アウトロー的だったロックンロールを、もっとふつうに参入できるポピュラーなものへと拡大していく上で大きな変化だった。
およそ不良っぽくないシュッとした好青年的ルックスで、間口が広く飛行距離が長い、すべて人に愛されるロックンロールをプレイした。
でもだからといってティーンポップのように毒や牙を抜かれていたわけでもない。
ちょっとしたシャウトや“アウッ”っていう掛け声や、ギターをかき鳴らす音は、ロックンロール的かっこよさが満載だ。
例えば、“Peggie Sue”の間奏のカッティングなんて最高にかっこいい。
まさに、その瞬間に高熱を発して輝きを放つような類いの感覚が息づいている。



「私はバディの歌い方、そして歌詞が好きです。彼はそれまでのミュージシャンと全く違っていました。今では当たり前のように思うかもしれませんが当時シンガーソングライターなどと言うものは一人もいませんでした。私とジョンは彼に触発されオリジナル曲を書き始めました。バディ・ホリーは素晴らしいミュージシャンです。」

wikipediaにも掲載されているポール・マッカートニーの発言が誤解され、バディ・ホリーのことを世界最初のシンガーソングライターと呼ぶ人がいるようだけど、これは明らかな間違い。
エルヴィスは自作しなかったけれど、チャック・ベリーは曲を自分で書いていたし、ブルースマンたちもフォークシンガーたちもみんな自作自演だったし、ポール・アンカですら自作自演だったのだから、ポールの発言のポイントは「ポールが初めて衝撃を受けた自作自演歌手」と理解するべきだ。
ただ大事なことは、バディ・ホリーのやり方に触発されてジョンとポールが曲を書き始めたということだろう。
また、クリケッツのギター✕2、ベース、ドラムという少人数のバンド編成もビートルズに大きな影響を与え、後のロック・バンドの基本形となったとされる。



1957年7月。
イギリスのスキッフル・バンド、クオリーメンはなけなしのカネをはたいて1枚の78回転SP盤を制作する。
バンドのメンバーたちは記念すべき最初の録音にバディ・ホリーの”That'll Be The Day”を選んだ。
彼らはその後、ザ・クリケッツ(=こおろぎ)にあやかって、バンド名をザ・ビートルズに変更する。
Beetle(=かぶとむし)は綴りをいじってBeatlesとした。
「BEAT」を自分たちの名前に刻み込んだのだ。













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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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