ベランダから見える桜は、もうすっかり青々と茂り、柳も若い葉がそよそよとそよぐようになった。 土手には菜の花の黄色が鮮やか。日もすっかり長くなって、目に映る景色はすっかり春。 なのに、風は相変わらず冷たくてどうにも中途半端な気分がする。 さぁ、今日は何を着て出かけるべきだろうか、と曇った空を見ながら思う。 ふと聴きたくなったのは、ジェイムス・テイラー。 やわらかな口調で訥々と紡がれるジェイムス・テイラーの歌は、穏やかな春の景色の中でどこか冷たい風が吹いているような感じがする。 Mud Slide Slim and the Blue Horizon/James Taylor ジェイムス・テイラーの3枚めのアルバム『Mud Slide Slim and the Blue Horizon』、1971年発表。
ずいぶん古ぼけたLPレコードが手元にある。自分で買ったわけではない。
学生時代にアルバイトしていたレンタル・レコード屋で、いっしょに勤めていたおっさんにもらったのだ。
学生時代、レンタルレコード店と居酒屋のバイトを掛け持ちしていた僕は、いったいいつ学校に行っていたんだろう(笑)。
その頃僕は、60年代70年代のいわゆる伝説だとか名盤だとか言われたレコードを片っ端から聴き漁っていた。今みたいにCDで古い盤がばんばん再発されていたわけではなかったから、レンタルレコード店に置いてあるアルバムはとても貴重で、出勤するたびに一枚、LPレコードを借りて帰らせてもらっていたのだ。(※注1:もちろんただで。いい仕事だったなぁ。)
一緒にバイトしていたメンバーもほとんどは京都の他の大学の学生ばかりだったのだけれど、なぜかある日、ぱっとしないおっさんが勤務することになったのだ。ひょろっと痩せていて、鼻の下に大きなほくろのある、ずいぶん冴えないルックスのおっさんだった。いつもサスペンダーをしていた。多分あの頃で30後半くらいだったのだと思う。学生の僕らからしたらずいぶん年上の、接点がない人という印象だった。どういう経緯でそのおっさんが働くことになったのだったかよくは覚えていない。今でいうリストラみたいなものにでもあったのだろうか、学生ばっかりで仲良くやっていたバイト仲間の中にはとても違和感があったし、実際そのおっさんの仕事ぶりはとてもとろかったので、みんなあまりそのおっさんと一緒の当番になりたがらなかった。
そのおっさんと当番がいっしょだったある日、お店はとてもヒマだったから、ツェッペリンとかクラプトンとかを掛けていたら(※注2:お店が賑わう時間帯はヒットチャートを流せ、との店長の指示だったのだ)、そのおっさんが「○○くんはこんな古い音楽が好きなんだねぇ。僕も昔たくさんこういうの聴いていたんだよ、髪長く伸ばしてね、懐かしいなぁ。」みたいなことをぶつぶつ呟いて、「そうだ、僕はもう今は全然こういうの聴かないし、お店に置いてないこういうレコードを○○くんにあげようか。」なんて言ってきた。そう言われるとむげに断るわけにも行かず、実際ちょっと興味もあったりして「えぇ、まぁ、よろしければ。」なんてよそよそしげに返事したのだと思う。
それからしばらくしてそのぱっとしないおっさんが持ってきたのは、C.S.N&Yの“デジャ・ヴ”、C.C.Rの“ペンデュラム”そしてこのジェイムス・テイラーのアルバムだった。
「げっ、こんなのフォークとカントリーやん(・・・)」と思いつつ、「とりあえず聴かせていただきます。」とか言って借りて帰って、聴いてみてなんだかとても爺臭い音楽のような気がして、結局ロクに聴かなかった。実際のところ、LPレコードを見るたびにそのおっさんの貧相な顔が浮かんで、とても聴く気になれなかったのだ。
それからしばらくして、おっさんは突然店を辞めた。それもどういう経緯があったのかよく覚えていない。
もらったレコードのことなんかもいつの間にかすっかり忘れていた。
ジェイムス・テイラーの朴訥とした音楽が心に染みるようになったのは、それからもっとずっと後のことだ。
今思えばひどい奴だよなぁ、俺。
おっさんはきっと話し相手がほしかったんだろうな。自分自身のこと、自分の今の立場のこと、それから若かった頃の思い出話。本当は、おっさんがそういうことを求めているのがわかっていて、うっとおしいからあえて無視したのだ。まったくひどい奴だ。
あのおっさんがその後どうしたのか、今はどうしているのか、わかる術もないが、もし出来るのならば謝りたいと思う。もっとも実際会って謝ることなんてまずない、ジェイムス・テイラーを聴いて、ふと思い出したたわいもない思い出に過ぎないのだけれど。
穏やかな春の景色の中を、冷たい風が吹いていた。
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