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夕立

夕立 そこまで来ている
雷ゴロゴロ ピカピカ
情容赦ないみたいだ
誰もが一目散へと何処かへ走る
カエルは嬉し泣きをしてる

洗濯物がぬれるから
女はひきつった顔で
わめきまわる ころびまわる
男はどうした事かと立ちつくすだけ
空の水が全部落ちてくる

Wah… 夕立だ

ぬかるみにはまったバスには
乗客ひしめきあってる
抜け出せない立往生 
旅人 荷物をかばって体がぬれる
強い雨がみんなを襲う

計画は全部中止だ
楽しみはみんな忘れろ
嘘じゃないぞ 夕立だぞ
家に居て黙っているんだ
夏が終るまで
君の事もずっとおあずけ

Wah… 夕立だ
Wah…夕立だ

(夕立 / 井上陽水)


井上陽水という人の存在を知ったのは中学生の頃ではあったけど、どちらかというと「一時代前に一世を風靡したフォークシンガー」という古くさいイメージでしかなかった。
吉田拓郎、南こうせつ、井上陽水のイメージは当時の中学生にとっては一緒くただったのです。
若者にはいつの時代でも、自分の少し上のジェネレーションをコケにしたがる習性があって、あんなフォークくさいのより、アリスや甲斐バンドだろ、って思っていた。松山千春や長渕剛ですら、あいつらよりはそこそこ垢抜けている、と思っていたのは自分により近いジェネレーション贔屓の面があったんだろうと思う。
特に南こうせつの、田舎の人の好いおっちゃん然としたルックスと女々しい(今は死語ですが)感じで♪妹よ〜なんてお涙頂戴ソングを歌うのが嫌いだったのだ。
その後、1981年、中三になってRCを知ったあとにはアリスも甲斐バンドも全部ぶっとんじゃったんですが。

ところが、RCを聴いていろいろと遡っていくと、井上陽水との共作曲があるというではないか。
あ、この人は清志郎がそれなりに認めた人だったのか、と知ってからは掌返し(笑)。まぁ中学生なんてそんなもんでしょ。
でも、その頃の井上陽水は“ホッテルはリバーサィ♪”だの“わたしはーとまどーうペリカーン♪”だの中学生にはどこにも共感しようがないよくわからない歌ばっかり歌ってて取っ掛かりがなさすぎた。

前置きが長くなりすぎたけど、僕が「やっぱり井上陽水なんかすごい!」と思ったのは大学生になってから。
レンタルレコード屋でバイトしてる最中にたまたまこの「夕立」を聴いたときだった。
(確か、当時出たベスト盤『明星』『平凡』に入ってたと思ったんだけど、今見たら収録されてなかった。。。あれ、どのレコードで聴いたんだろ?)



なんていうんでしょうか、このファンキーなリズムのアラシ感は。
ギターのリズムはファンク。フッフーっていうコーラスもおそらくはブラックミュージックを意識したものだろう。
でも、このバケツをぶっ叩くようなパーカッシヴなリズムは、黒人たちのグルーヴともまた違う日本人独特のオリジナルな感じがする。
そして“ワァーフ、ワァーフ”という意味のよくわからない叫び声。
なんだ、この人は。こんなことを(当時の)10年も前にやっていたのか!、みたいな新鮮な驚きがあったのだった。

で、今もまた改めて、この歌詞がズシンとくる。
計画は全部中止だ、楽しみはみんなお預け、夏が終るまで黙って家にいろ・・・
突如ぶり返してきたコロナの夏に見事にずっぱまりではないか、と。

ある意味コロナ禍は、すべてを一時停止させる夕立みたいなもんだ。
この歌を書いた頃にコロナを想定していたはずはないから、この「夕立」は一体何の暗喩として描かれたのだろうか。
すべてを中断させてしまう抗いようがない大きな力。それも戦乱や大災害のような有無を言わせぬ巨大な力とは違う、些細なはずなのに身動きがとれなくなってしまうような。
いや、何の暗喩でもなく、夕立に右往左往する人間社会の情景の滑稽さを斜めから見て、自虐も込めて嗤っただけなのかも知れないけれど。
そういう意味では、コロナ禍での右往左往もかなり滑稽な情景なんだろうね。これも自虐込みで。



さて、テーマは井上陽水ではなく、夕立だった。

夕立とは単なる雷雨やにわか雨ではなく、よく晴れて気温が高い夏の日の午後に降る雨のこと。
温められた空気が上昇気流で急速に発達することによる雨。
今年はいわゆる線状降水帯が張り出して梅雨の続きのようなお天気が続くせいで、そういう入道雲をまだ見かけませんね。

昨日は京都でも集中豪雨が発生、家の裏手の疎水はあふれる寸前だったらしい。
コロナにしろ豪雨にしろ、どうかひどいことが起こりませんように。
こればっかりは願うしかない。






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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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