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雨上がり



雨上がりの空の向こうで
君は今日も手を振る
僕は今も答え合わせ
ずいぶん前を歩いてる
とても小さな君はうつむく
今こんなふうにしておくれよ

肩を抱いて
忘れないで
つまらない笑顔のままで
この時間がたったひとつの
僕らをつなぐ日になるように

今何時だろうか
君はどこへ行く
つむじ風舞う心に届けよ

(雨上がり/くるり)


くるりというバンドには不思議な存在感がある。
くるりがデビューした1990年代後半にはもう、デビューしてくる新しいバンドを追いかけるような感じではなかったので、初めて聴いたのは“ばらの花”が評判になってからだったと思うけど、この曲の不思議な魅力になんだかただもんじゃない感を感じたのはよく覚えていて、それからも数枚アルバムを聴いた記憶がある。
この“雨上がり”もそんな風に出会った一曲だった。
とてもくるりらしい、くるりの魅力に満ちた歌だと感じてすごく印象に残ったのだ。
どこかで聴いたことがあるようなメロディーがまず素敵だと思う。
淡々としていながらも耳に残るメロディーと、どのパートも出しゃばらないシンプルなアンサンブル。
そして歌われている物語。

岸田繁の書く歌詞は、正直パッと文字を読んだだけでは意味がわからないものが多いと思う。
でも、行間にドラマを感じるのですよね。
“雨上がり”に登場する男女にしてもどういう関係なのか、読んだだけではうまく読み込めない。
すれ違いが増えて別れる直前のカップルなのか、それともお互いに好意を寄せながらも深い関係になるきっかけを見失っているのか。
“つまらない笑顔”とはどういう心境なのか、心に吹く“つむじ風”とは何のメタファーなのか。
どちらにしても主人公は踏ん切りがつかないでいる。

でも、音楽の良いところは、そういう解釈が聴く側に委ねられるところなんだろうな。
ジョー・ストラマーみたいにメッセージをダイレクトに伝えるタイプの音楽も好きだけれど、それは演説でもできる。メッセージをダイレクトに伝えるのではなく、ふわっと雰囲気を雰囲気のまま伝えられるところが音楽の真骨頂で、その前では、意図や意味など実はどうでもいいのだ。
曖昧な歌を曖昧なまま届ける演奏だからこそ、いろんなイマジネーションが浮かぶ。



雨上がりという時間帯もある意味曖昧な時間帯で。
雨こそ止んではいるものの、湿気や空気感はまだ雨が降っていた時間帯を引きずっている。
そういう曖昧さは、不安でもあるけれど、生きることとはそういうものなんじゃないかとも思う。
簡単には割り切れないことの中にこそ真実があり醍醐味がある。
その曖昧さ、境界線の時間帯、言葉で伝えきれない空気感こそ、音楽で表現されるべきなのかも知れない、なんてことをふと思ったのでした。











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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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