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メンフィスからシカゴへ ロックのゆりかご(22)

最初にブルースってかっこいいなと思ったのは、エルモア・ジェイムスだった。



高校卒業前くらいだっただろうか。
FMラジオで「ロックのルーツ ブルース特集」みたいのをやっていてチェックしたのだった。それから大学生になってすぐくらいの頃にタワーレコードでベストアルバムを買った。

「ロック好きとして、ブルースは聴いておかなくては」と、本やアーティストの発言からそう影響を受けていたのだったと思う。



エルモア・ジェイムスのブルースは、ロック好きにとってわかりやすくかっこよかった。

ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャーギャーン、と三連で音を刻むイントロと、ドスバスドスバスとシャッフルで叩かれるリズム。この爆音ギターとリズムはロックの快感と同じでとっつきやすかった。

そして、想像よりも甲高い声で歌われる歌には、とてもギザギザした感情やヒリヒリする感情が込められていた。

音楽的なことはよくわからないにしろ、あぁ確かにロックの原型はブルースなんだなと納得して聴いていたのだ。

その後マディ・ウォーターズやジョン・リー・フッカーなんかも聴いてはみたものの当時は正直、いまいちピンと来なくて、最初はエルモア・ジェイムスばっかり聴いていた記憶がある。




エルモア・ジェイムスの次にかっこいいなと思ったのは、ハウリンウルフで、その頃になるともうストーンズの粘っこいかっこよさにも目覚めて、インタビューなんかを読んでは「やっぱりストーンズのルーツはブルースなんだ」と理解していたのだったと思う。



ドスが効いて豪快なシャウトには、エルモア・ジェイムスのような微妙で繊細なニュアンスはなかったけれど、ふてぶてしくて荒々しくてザ・ボスのような風格があって、なるほどストーンズがこれを参考にしたんだと納得できる感じがした。


それからサニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡ。



ハーモニカもかっこいいし、ちょっとダルでいいかげんでやさぐれた感じは、まさにイメージどおりのブルースという印象だった。





この3人のブルースマンたちは、いずれもミシシッピ・デルタの出身で、メンフィスで活動して名をあげたのちに、シカゴへ拠点を移している。

時代は1940年代後半〜50年代前半、第二次世界大戦のアメリカの勝利から続く好景気を背景に、工業化がどんどん進んでいった時期と重なる。
その頃から南部の綿花畑でも労働力は余りだしていた。
アメリカ全体が製造業・工業輸出国へとシフトし、安価で大量生産される化学繊維が綿の需要を奪っていったこと、またもっと人件費の安いインドなどへと栽培の中心地が移っていったという背景もあるのだろう。

1863年に奴隷解放宣言が署名された時点では、アフリカ系アメリカ人の90%以上が南部州で居住していたのが、1914年から1950年までの間に100万人以上が都市部へ移住したそうだ。

南部からの移住先として圧倒的に多かったのが、移動費が安く重工業が発達していたシカゴやデトロイトなどの五大湖周辺の都市。
メンフィスとシカゴは500マイル(約800km)離れているけれど、夜行バスだと一晩で移動できる。

そういえば、アメリカ横断の貧乏旅行をしたとき、メンフィスからシカゴへ向かう夜行バスに乗ったことがある。移動費と宿泊費を浮かそうとたくらんだのだけど、深夜のバスディーポにいたのは見事に全員黒人だったのを覚えている。後で聞いた話では、普通は飛行機を使うのだそうで、夜行バスは貧乏人しか利用しないのだそうだ。僕もじゅうぶんに貧乏な身なりだったので、何か起きたということはなかったのだけれど。

それはともかくも、出稼ぎ労働者労働者が都市部に増えれば、そこには出身者たちのコミュニティが出来る。出稼ぎ労働者たちにとって住み慣れない都会は当然居心地のいい場所ではなく、故郷の食べ物や娯楽が求められる。

田舎の訛りのあるブルースは、都会で疲弊した彼らの心を癒やしたのだろう。
ミシシッピのブルースマンたちは、こうして北部の都市に根をおろしていったのだ。

先鞭をつけたマディ・ウォーターズや、マディよりも年上で親分肌だったハウリンウルフは、貪欲に都市のエネルギーを吸収してパワフルに活動していった一方で、エルモア・ジェイムスは何度も故郷へ帰ろうとしたらしい。

エルモアのどこか悲痛な感じがする甲高い声と悲鳴のようなギターには、そんなエルモアのギザギザしたりヒリヒリした心象が現れている気がしてしまう。僕が最初はエルモアに惹かれたのは、このギザギザやヒリヒリに、ロックと同じ匂いを感じたからなのだろうと思う。

で、サニーボーイはたぶん、場所がどこであれへべれけになって飲んだくれていたはずだ。

ブルースという音楽は、そんなふうに演者の生き方をストレートに表わしてしまう音楽なんだとこの三者の演奏を聴いて思っていたのがハタチかそこらの頃。
とにかくどうしたところで思ってることがそのまま出るんだから、取り繕おうとせずに思ったとおりに生きればいい。
ブルースを聴きながら、その頃そういうことを感じとっていた。
それから35年を経て、そういう思いをさらに強くしている今日このごろ。










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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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