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ゴリラの森、言葉の海



ゴリラの森、言葉の海 / 山極寿一・小川洋子

レコードを、いわゆる「ジャケ買い」をしたことはあるけれど、文庫本を「ジャケ買い」した記憶はほとんどない。
そんな稀有な「文庫本のジャケ買い」をしてしまったのがこの本。

山極寿一さんと小川洋子さんによるゴリラ研究の知見から人間の在り方に思いを巡らせた対談集。
山極寿一さんは著作こそ読んだことはないけれど、霊長類の研究者として著名な方だし、小川洋子さんは好きな作家で、特に理系方面と文学をクロスさせるいくつかの著作にはけっこう惹かれたけれど、それでも購入動機になったのはこのカバー写真だった。
対談集には薄っぺらいものや散漫なものも多く原則手を出さないのだけど、自分で立てた原則なんてものはいつでも修正可能なのだ。



ゴリラはチンパンジーやオランウータンと同じくヒト科に属していて、ヒトとのDNAの差はわずか0.1%しかないのだそうだ。そしてチンパンジーよりもゴリラの方がヒトのDNAとの共通項が多いらしい。

ゴリラとヒトが大きく違うのは「言葉というコミュニケーションツール」を持っているかどうか。

そのこと以外がとても似ているから、本来ヒトはどういう生き物だったのかがゴリラを研究することでその一端が見えてくるようだ。

ゴリラと長い時間を過ごし、言葉によるコミュニケーション以外の方法でゴリラと理解しあうことを経験的に把握している山際さんと、言葉を紡ぐことで人間の心の動きを浮き上がらせようとする小川さんの、ある意味対極の立ち位置であることを知りながら、お互いの考えを興味深く感じている対話は、とても心地のよいものだった。

ゴリラと比較すると、どうしても人間は歪な進化をしたのだろうなという気分が拭えなくなる。

人間がいかに言葉に依存した生活や思考を行っているか。

言葉は便利で有効だし、そのことが文化と技術の発展に大きく寄与したことは間違いないけれど、言葉という枠にはめてしまうことで微妙なニュアンスや温度が切り捨てられたり、逆に大げさに盛られてしまうものがある。

本来、微妙なグラデーションを持っていた感情、A60%・B30%・C10%くらいの感情が、言葉にしたときにはAだったことになってしまう。Aだったということに固定してしまう。そういうことはよくある。


「言葉の網ですくい切れないものがあふれている世界に、つい最近まで人間は他の動物と一緒に暮らしていた。言葉に頼れば頼るほど、僕たちの世界はそれ以前に獲得した豊かな世界から離れていく。」

という山極さんの言葉は、そのとおりだと思う。


本当は、言葉よりも、接触や行為のほうが信頼の手がかりになる。
それは実感として知っている。
言葉を交わさなくても、目をみたり、手を握ったり、ハグしたり、そういうコミュニケーションで伝わるもののほうが遥かに近く、強く、ずっと残る。
でも人間は、高度化された文明社会の中で接触や行為の機会を減らしてしまっているし、そのことは際限なく発展するIT化の中で、尚更加速しているように思える。
コロナ禍で自分自身が感じた、微妙な閉塞感もきっと根本はそういうことなのだと思う。

僕が音楽や絵画というものに惹かれりのはきっと、そういう表現が「言葉にしたらこぼれ落ちてしまうもの」を漏らさずに盛ることができる器を持っているからなんだろう。
まるいものをまるく、あたたかいものをあたたかく。
言葉にしたときに解体されてしまうものを、音楽や絵画はまるいまま、あたたかいまま届けてくれる。
それはきっと、目を見たり、手を握ったり、ハグしたりするときの伝わり方に、少なくとも言葉よりは遥かに近い。
だから、この本の表紙のゴリラの画像に強く惹かれたのだろう。
ついつい「文庫本のジャケ買い」をしてしまうほどに。

けれど、その一方で、自分自身は「言葉を組み立てること」で成り立っている人間だという自覚もより強くなってしまうのだ。
音楽や絵画に憧れつつ、自分自身はそのことをどうやって言葉にするかを突き詰めていくことに敢えて価値を置きたいと思う。
そのことを自分自身のミッションとしたいと思う。
小川洋子さんも山極さんとの対話の中で改めてそう思ったんじゃないだろうか。

などと、ゴリラとヒトに関するお二人の会話に刺激された思いは、自分の中ではそんなところに着地することになった。




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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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