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Ma Rainey ロックのゆりかご(6)

マ・レイニー(Gertrude Malissa Nix Rainey、1886年4月26日-1939年12月22日)ジョージア州コロンバスプリジェット生まれの歌手、ソングライター、作詞家。
1920年代に最初にブルースを録音した一人で、強力な発声能力、雄大なフレージング、うめき声スタイルの歌唱で知られ「ブルースの母」と称されている。



最初に発売されたブルースの曲は、C.W・ハンディの“St.Louis Blues”で1914年。これは楽譜として発売されている。まだレコードという媒体がなかったのだ。

録音されたブルースのレコードは、メイミー・スミスの“Crazy Blues”が最初のものでこれが1920年のこと。

マ・レイニーは同じ時代に活躍した歌手で、1923年から1928年にかけて100曲以上を録音した。
10代の頃からヴォードヴィルショーなどで舞台に立っていたそうで、彼女がブルースを歌うようになったのは、ミズーリの小さな町である黒人女性の歌声を聞いたのがきっかけだったそうだ。その後、彼女は自分のレパートリーにブルースを入れるようになり、いつしかブルースの母と呼ばれるようになっていった。

C.W・ハンディの曲も、南部の町を旅しているときに聴いたものを採譜したのがはじまりだったそうだから、こういうエピソードからもブルースという音楽が「誰かが創造した」ものではなく「自然発生的」に世間で歌われていたものだったということがわかる。

マ・レイニーのヴォーカル・スタイルも、おそらくは教会での讃美歌などのルーツにヴォードヴィルショーなどで培われた演芸的要素が加わっていったものだろう。
声量があって、抑制をきかせつつも感情の揺さぶりがダイレクトに伝わってくる歌い方。
彼女のスタイルは、ベッシー・スミスやビリー・ホリデイ、マヘリア・ジャクソンらに大きな影響を与えていくことになる。




1924年の“See See Rider Blues”。
楽曲の形式としてはブルースではあるけれど、演奏はジャズの色合いが強い。ルイ・アームストロングがコルネットを演奏している。



1928年の“Black Eye Blues”。
この録音には、ギターでタンパ・レッド、ピアノにジョージア・トムが参加しているそうだ。
タンパ・レッドは後にビッグ・メイシオと共演してシティ・ブルースの立役者となり、ジョージア・トムはトマス・A・ドーシーとしてゴスペルを量産していく人だ。

ブルースの黎明期には、様々なスタイルのミュージシャンがブルースというフォーマットの上で演奏を繰り広げていた。
まだまだジャズもブルースも未分化の時代。
こういう演奏が、その後いろんな音楽へと発展していくゆりかごになっていった。




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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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