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小川未明童話集


小川未明童話集 / 小川未明

小川未明の童話集を久しぶりに読んだ。

教科書に出ていた「野ばら」というお話は好きだったなぁ。
授業でどんなことを問われたとかまるで覚えていないけれど、このお話は好きだなぁ、と思いながらぼんやりした気分で何度も読み返していた。

大きな国とそれよりは少し小さな国、隣の国同士の戦争という状況とはまるで関わりがないようなのどかな情景。
お互いがお互いを異国人としてではなく一人の人として向き合っている姿。
ん、そう言っちゃうとなんだか説教臭い物語みたいだな。
このお話の魅力はそういうところじゃない。
教科書でそんなお説教っぽい結論にたどり着いたとしても、断じてそうじゃない。
ただ情景があって、人の営みがあって、それはぼんやりと悲しくて。
ハッピーエンドじゃない、苦々しく、悲しみが滲むような結末。
でも、それも含めてぼんやりしているところがいいのだ。味わい深いのだ。

小川未明さんの童話がどれもじんわり来るのは、ハッピーエンドじゃないからだと思う。
僕は天の邪鬼な子どもだったから、どうも勧善懲悪の物語やハッピーエンドな物語には懐疑的で。

例えば「めでたしめでたし」で終わる桃太郎。
圧倒的なヒーローとして描かれる桃太郎だけど、そのキャラクターはまるで感情のない殺戮マシンみたいで僕はそれがすごく気持ち悪い。鬼の側がどういう事情があって村を襲ったのかは語られないけれど、鬼の側からみたら恐るべき略奪者だ。
例えば後々に、親を殺された鬼の子どもから復讐されはしなかったのか。それを恐れて財宝略奪のみならず、鬼を根絶やしにするための第二次第三次の侵攻を企てるような残虐さすら持ち得たのではないか。

例えば王子様と結ばれたシンデレラ。
そもそも、シンデレラはどうして姉たちにそんなにいじめられていたのか。姉たちにも言い分はあって、どこかイラッとさせる性格の持ち主だったんじゃないのか。しばらく暮らすうちに素性がすぐにバレて追い出されたりしなかったのか。
或いは王女になったあかつきに、自分を虐げた継母や姉たちを吊し上げるような暴君になったりはしなかったのか、とか。

どんな事柄にも、光の側面と影の側面がある。
疑り深いのか、ひねくれているのか、光の側面だけを取り上げて美しく物語にしてしまうのことにどこか違和感を持ってしまうのだ。

代表作とされる「赤いろうそくと人魚」のエンディングは見事に救いようがない。善良な老夫婦の変節と、人間社会へ娘を託し裏切られた人魚の復讐。
「黒い旗物語」も最後、町が焼き払われてしまうし、「眠い町」はSFっぽい不思議な終わりかたをする。
不思議な終わりかたといえば、幸福の予兆のようなものから一転して終わる「金の輪」や、主人公が突然消滅してしまう「木に登った子供」などすごく奇妙だし、ある晩の出来事を境に何かが起きたことを醸しだすような「大きなかに」もどこかもやもやする。

この奇妙さやもやもやが、僕は好きだ。
弱い者が必ずしも救われるわけじゃない。努力がいつも実るわけじゃない。
信心深い老夫婦が意地の悪い金の亡者になり、かわいい子どもが突然理不尽に命を落とす。
できればあまり見たくない人の世の側面ではあるけれど、それらを、汚さや醜さを誇張せず、嘆いたり悲しんだりもせず淡々と描いているところがいい。
絶対的な善も絶対的な悪もなく、人は賢くもあり愚かでもあり、ただただいろんな思いを抱えながら生きている。

そういえば「飴チョコの天使」という話にはこんなフレーズがあった。

「この地上にいる間は、おもしろいことと、悲しいこととがあるばかりで、しまいには、魂は、みんな青い空へと飛んでいってしまうのでありました。」

この感じ、これが小川未明の表現の核にあるものなんだろう。



実家で一人暮らしをしている母が、だんだんと壊れかかっている。
耳が遠くなりテレビは爆音。同じことを何度も繰り返す。直近の記憶が薄く前後関係の辻褄が合わない。
弟はそのことを嘆き、なんとかしたいと躍起になって大声でお説教したりするのだけれど、僕はあまりそうしたいとは思わない。
「この地上にいる間は、おもしろいことと、悲しいこととがあるばかりで、しまいには、魂は、みんな青い空へと飛んでいってしまうのでありました。」、そういうものなんだし、それでいいじゃないかと思うからだ。








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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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