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◇J.D.サリンジャー氏の死に寄せて  The Catcher in the Rye

キャッチャー・イン・ザ・ライ

キャッチャー・イン・ザ・ライ/J.D.サリンジャー

半月前だったか半年位前だったかもうちゃんと覚えてはいないけど、とにかくそれくらい前のことさ。
新聞にJ.D.サリンジャーっていう小説家のじいさんがくたばっちまった、っていう記事が載っていた。91歳っていやぁ、大往生だね。もうこの何十年も音沙汰の無かったじいさんのわりにはかなり大きめの取り扱いでね。三面記事やなんかに写真入りで大きく取り上げられていた。しかも、ずいぶん若い頃の写真ばっかりでさ、なんでもある時期からは隠遁生活に入って世間にまったく姿を見せなかったらしいんだ。何もそんな人間嫌いの偏屈じじいが死んだことなんていちいち記事にしなくてもよさそうなものなのに、まぁ、新聞っていうのは、よっぽど誰かが死んだりするのが大好きなんだろうね。きっと専門の人間を世界中にくまなく配置して、少しでも有名な人間が死んだらすぐに翌朝の朝刊に掲載するようなとんでもないシステムが出来上がっているに違いないよ。
そして、新聞以上に誰かが死んだりするのが大好きなのが巷に溢れるブログだ。ちょっと検索してみてご覧よ、あっというまに500万件くらいのサリンジャーの死亡に関する記事が出てくるはずだよ。そのほとんどは、きっとどうしようもない記事だろうね。「歴史上の人物だと思っていたらまだ生きていたんですね」なんていうみもふたもないものから、まるでこの世の神と崇めるかと思っちゃうような大袈裟な賛辞までいろいろさ。どっちにしたってサリンジャー本人には関係ないことだろうけどさ、そういうのを見ると僕はなんだかおかしな気分になっちゃうんだよね。まるであいさつの最初に今日のお天気のことをいうみたいに自分の死の話題が持ち出されるっていうのはいったいどんな気分なんだろう。「やぁ、こんにちは。サリンジャーが死んだね。」「こちらこそ、ご無沙汰しています。サリンジャーが死んだね。」なんてさ。
ただ、僕が本当に心の底からどうかしてるって思うのはこういうことなんだ。つまり、あいつら誰か有名人が死んだら必ず最後には「ご冥福を祈ります。」ってブログに書くんだ。「ご冥福を祈ります」ってね。そのくせ絶対に祈ったりなんかしないんだ。誓ってもいい。あいつらは死んだ人のためになんか絶対祈ったりしないもんなんだよ。

『ライ麦畑でつかまえて』はもう100万回くらい読んだ。いや、何も僕がサリンジャーの熱烈な大ファンだということを言いたいんじゃないんだよ。それが証拠に、ライ麦畑以外のサリンジャーの本については読んだことがないか、もし読んだことがあるとしてもまったく記憶から抜けちゃってるくらいなんだ。どうして僕がライ麦畑を100万回も読んだかっていうと、それはもう本当に面白いからさ。どのページをめくってもゲラゲラ笑ってしまうようなことがどこかに書いてあるんだよ。ホールデン・コールフィールドにかかっちゃうと、いや、ホールデン・コールフィールドっていうのがこのライ麦畑と呼ばれる物語を一人称で語る主人公なんだけどね、とにかくホールデンにかかっちゃうと世界中の誰だってまぬけなとんちき連中になっちゃうんだよな。
物語は、16才のホールデンが学校を放校になるところから始まる3日間のことなんだけれど、なにしろあらすじらしいあらすじなんてないものだから誰もが、タイトルになった場所、そう、妹のフィービーのホールデンへの「何かなりたいものはないの?」という質問に対して「僕のやる仕事はね、誰かが崖から転がり落ちそうになったらその子をつかまえることなんだ。(中略)ライ麦畑のつかまえ役、僕はただそういうものになりたいんだ。」ってとこを引用して、感動した、素晴らしい本だ、なんて褒めちぎるんだよね。なんてことはない、それはあの場面が一番分かりやすくて、唯一感動できそうな場所だからなんだと僕は思っている。だいたいの人は、300ページもある本を読んだらどこかで感動できる場所がなくっちゃいけないと思っているんだよ、やっかいなことに。冗談じゃない。そんなのはまるでのろまなうすらとんかちな話さ。だいたいホールデンのこの発言に大した意味なんてない、例によっての出任せなんだ。ましてこの発言に弱者に対するいたわりや優しい気持ちや自己犠牲の精神なんてものを見出そう、なんてのは、ホールデンが聞いたら吐いちゃいそうな戯言だ。もし、このセリフに意味があるとしたら、それは「誰か崖から転がり落ちそうなこの僕を助けてほしいんだ」ってことじゃないかと僕は思うんだけれど、まぁそんなことは人それぞれなんだし、どんな物の見方があったってそれは僕としちゃあ一向に構わないことなんだけどね。
この本の中で僕が好きな場所はいろいろあるけれど、そうだな、ストラドレイターに頼まれた作文に書いた弟のアリーのグローブについての文章を突きかえされてビリビリに引き裂くところ、フィービーに「あなたはけっきょく世の中のすべてが気に入らないのよ。」と言われて一生懸命否定するところ、フィービーのために買ったレコードを落として割っちゃうところや、そのかけらをフィービーが引き出しにしまうところなんかは、なんだかとても切なくなるよね。それから月並みだけどやっぱり最後の、雨に打たれながらフィービーが回転木馬でぐるぐる回っているのを見ているシーンはなんだかジンときちゃうんだよね。

すいぶんたくさんおしゃべりをしてしまったみたいだ。
僕がこの本を一番好きなところ、それはきっと、全部冗談なんだってこと。サリンジャー氏はきっとこの本を、ゲラゲラ笑いながら書いたと思うんだ。だから、四の五の言わずにゲラゲラ笑いながら読むのが一番なんだと思う。ねぇ、君、物事は必要以上にシリアスになっちゃいけないんだよ。


ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)
  
ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)/J.D.サリンジャー

冒頭の長ったらしい文章は、お察しのとおり、ホールデン・コールフィールド風に書き散らしてみたもの。
かちんとくる人もいるかもしれないけれど、全部冗談なんでどうか気にしないで下さい。

僕がこの本を最初に読んだのは、確か18か19のとき。もちろん野崎孝訳のペーパーバック。生まれ育った町の本屋にはサリンジャーなんて置いてなかったから、京都の大きな本屋で見つけたんだと思う。
その頃この本は、すでに古典としての評価が確定していた。今の子どもたちがビートルズやジミヘンや、或いは尾崎やブルーハーツに出会うときと同じようなもんだ。僕はこの本を、きっとこれからの人生に役に立つ素晴らしいことが書いてある、と期待して読んだんだろうね、そして、なにがなんだかちんぷんかんぷんだったけれどとにかくこれは名作なんだと思い込んだんだ。そういうことってきっと世の中にはたくさんあるだろう?そして、この物語の本当の面白さに気付いたのは、もうずいぶん大人になってからのことだった。

ひとつだけ正直な感想は、我ながらとんでもなくくだらない感想だけど、ホールデンの時代にロックンロールがあればよかったのになぁ、っていうこと。きっとあいつは虜になったと思う。そして、僕らの時代にロックンロールがあってよかったなぁ、ということ。でなきゃ僕だって、ホールデンみたいにぶっ壊れてしまったんじゃないだろうか、なんてつくづく思ったりするのです。



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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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