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2021年3月

東日本大震災から10年という節目と、コロナ禍から丸1年という3月。

この2つの災厄、さらに原発事故も含めた3つの災厄について考えると、人間というものは自然の原理の前にはあまりにも無力なのだと思ってしまう。

人類が数千年に亘って累々と気付きあげてきたものと、自然の営みはまずもって桁が違う。
そもそも人類の文明の歴史はたかだか4000年。45億年の地球の時間の中ではほんの一瞬に過ぎないのだし、細胞レベル、遺伝子レベルでのウイルスの世界と人類の日常はやはり桁が違いすぎる。原子レベルの物理現象であり半減期が数万年単位の放射線についてもそうだ。
いずれもまともに太刀打ちできる相手ではない、というのが大前提なのだ。

災害に抗う手立てはないんだと思う。
いつだって自然は、人間の想定なんて、軽々と越えてくる。
人間の想定を嘲笑うかのように、なんて比喩すら通用しない。
自然は嘲笑ったりはしない。
ただ、現象としてそこにあるだけだ。
人間たちだけが勝手に、経験上からこの程度だろうと勝手に想定して、勝手に想定外だと騒いでいるだけなのだ。
災害という言葉ですら、自然にとっちゃ知ったことではない。
物理的な現象が発生したときに、人間にとって不都合なものが災害と呼ばれるだけ。
自然にはそもそも知る意志すらない。

だからといって運命に従うしかないという諦念をここで言いたいわけではないのです。
そういう状況の中でも少しでもよりよい方向へ向かえるよう知恵と工夫を凝らし世の中の在り様を改善することができることこそ、人類が築きあげてきた叡知だと思う。
ただ、この10年で震災で得た教訓が活かされた社会に転換できたかといえば、残念ながらそうとは言えず、コロナ禍でも同じ過ちを繰り返してしまっている気がしてならないのだ。



震災の年に出版されたこの本を再読してみた。


春を恨んだりはしない / 池澤夏樹

10年前に書かれたこの本は、震災から一年の節目に、自らの経験を踏まえた考察を綴ったもの。
タイトルの『春を恨んだりはしない』は、ポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩の一節から引用されている。

またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない
わかっている
わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが
止まったりはしないと


失われたひとりひとりの“看取られることのなかった”死を悼み、自然現象を擬人化したところで自然にはまるで意図などないことを確認しつつそれでもそうせざるをえないのが人間だということを認め、原子力の安全に対する言葉の嘘を見破り、政治にどのような姿勢で接するべきかを説き、それらすべての考察がまた、人が時代と共に生きることへと収斂されていく。

この本の結びには、池澤さんのこのような考察がある。

これを機に日本という国のある局面が変わるだろう。
それほど目覚ましいものではないかもしれないかもしれない。
ぐずぐずと行きつ戻りつを繰り返すかもしれないが、それでも変化は起こるだろう。
ぼくは大量消費・大量廃棄の今のような資本主義とその根底にある成長神話が変わることを期待している。
集中と高密度と効率追求ばかりを求めない分散型の文明への促しのひとつとなることを期待している。
人々の中では変化が起こっている。
自分が求めているのはモノではない、新製品でもないし無限の電力でもないらしい、とうすうす気づく人たちが増えている。
この大地が必ずしもずっと安定した生活の場ではないと覚れば生きる姿勢も変わる。

おそらく変化は起きているのだと思う。
ただ、その変化もまた、人間ひとりの人生から見たらまた遅々としてしか進まないものなのだろうと思う。

戦後から高度経済成長、ジャパンアズNo.1からバブル経済までの期間においしい思いをした人たちにとっては、経済というのはどこまでも伸びていかなければいけないものなのだろう。
そういう世代が政界や経済界を握っているうちはまだまだ旧態依然とした政策が繰り返されるのだろうな。
でも、平成生まれ以降のもっと若い世代は違う感性を持っている。
モノを所有する豊かさよりも、コミュニケーションが豊かな社会の方が居心地がいいことを知っている。

意外とキーを握っているのは、60年代後半から70年代前半に生まれた我々の世代なのかも知れない。
僕らの世代は、生まれた頃から豊かさを享受してきた分、豊かでなければならない強迫観念は薄い。
ギラギラした脂っこい大人たちに「近頃の若いもんは」と言われて育ったけど、「近頃の若いもんは」と若者たちに言わない。
親たちがずっと受け継いできた儒教的価値観や農村的価値観を継承しなかった代わりに、ジェンダーやLGBTやそういう多様性について変化を担ってきたし、ハラスメントについても前の世代の価値観を共有しはしなかった自負があるはずだ。

分散型の文明。有限の豊かさのシェア。
あの地震から10年経って風化しはじめてきてしまったあのときの思いを、コロナ禍が呼び起こすというのも皮肉なことだけど、立ち止まって考えなきゃいけないんじゃないかと思ったのです。

10年やそこらで風化するはずもない、失われた命を悼む気持ちに手を合わせて。






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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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