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◇アンネの日記、切腹、朝青龍

くだらない話題続きで申し訳ない。
先日ひとしきりぼやいた朝青龍の引退騒動の件。
どうにもこうにも気持ち悪さが残ったままで、この気分は一体何なんだろう、と考えて思い当たった。
あの朝青龍の引退強要、武士の世界の切腹ってあんな感じじゃなかったのか、と。
事実であるかないかにかかわらず、世間様がどう思うかを基準としての善悪の判断。
その上で、イエスもノーも選択の余地のない状態で非情な措置を強制しておきながら、本人が潔い最期を自ら選んだという形を作る。本人の命を引き換えに本人の体面を、それはイコールもちろん組織の体裁を、そうやって維持する、というわけだ。
なるほど、和を尊しとする農耕民族の血が脈々と受け継がれた恐るべし儀式だったのだな、あれは。
そりゃ、遊牧民族のモンゴル人にこの感覚はわかるまい。
しかし、冷静に考えて、事実かどうかよりも世間様がどう思うのかを優先される社会というのは、とてつもなく恐ろしい。
そんなこと今の社会じゃありえない?いや、そんなことはないだろう。
事実、今回の朝青龍の処分を、世間は見事に受け入れたのではないか?
何であれ自ら進退を伺ったことで横綱としての体面をかろうじて保った、とみんな思っているんじゃないのだろうか?
世間様がイエスというときすべてはイエスなのか?
そんなふうにしてひどいことに陥った例が、たった60年ほど前にはごろごろあったはず。
例えば太平洋戦争、例えばホロコースト。


博士の本棚 (新潮文庫)

博士の本棚 /小川 洋子

この本を読むまで僕はすっかり忘れていた。
実は僕は、エルサレムで、ホロコーストの博物館に行ったことがある。
さして興味があったわけじゃない、直前までホロコーストとホロスコープの違いすらよくわからない程度のレベルの若気の至りの思いつきの旅の結果のたまたまだったのだけれど、あれはショッキングな場所だった。
人間は、これほどまでに人間に対して残酷になれるものか、ということを嫌というほど思い知らされる。
「人間の脂を固めて作った石鹸」を見たとき、僕は吐いた。
人間は、あれほどまでに人間に対して残酷になれるものか?
なれるものなのだ。
自らが属する社会のルールに抗うことは、人間にとってとても難しいことなのだ、と理解しておいた方がいい。

小川洋子さんの「博士の本棚」は、小川さんが好きな本について語ったエッセイをまとめたもの。
その中で頻繁に登場するのが、アンネ・フランクの『アンネの日記』。
小川さんはエッセイの中で、淡々と、しかしはっきりした口調で、アンネの資質や才能を讃え、アンネの不在を嘆き、アンネを奪った理不尽な暴力に憤り、「もし彼女が生きていたら、どんな小説を書いていただろう。」と夢を見る。
若くして死んだ小説家は他にもたくさんいるけれど、それがわずか15歳という小説家は他にはいない。
そして彼女の死には、他の小説家と大きな違いがもうひとつある。
それは彼女の死が、病気や自殺や事故ではなく、何の意図も無く社会から強制されたものであること。まして、彼女が小説家の卵であるということすらまったく留意されないままに。

できることならば世間にたてつかずに暮らしていたい。
けど、真実をうやむやにして世間の声に流されたくはない。
まして、それが自らの身に降りかかったとしたら、「自分はこう考えたのだ」と表明しないまま抹殺されるのはまっぴらだと思う。



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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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