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バナナ・ボート

シュガースポットが出て、ぱっくりと皮が裂けたバナナ。



バナナは戦国時代中期1570年(永禄13年)にポルトガル人により日本に持ち込まれ織田信長からも珍重されたが、完熟すると自然に皮が裂けることが切腹を連想させる、と武家から嫌われたため、日本には根づきませんでした。
幕末になるとその潔さが勤王の志士の間で尊ばれ、坂本龍馬も気に入って食べていたそうです。


嘘です(笑)。

ひとつめの嘘は切腹。
武士の間で、責任をとる際の死罪としての切腹が広まったのは江戸時代に入ってから。
名誉ある自死としての切腹は、1582年羽柴秀吉が備中高松城を攻めた際、敗北した清水宗治が切腹視したことが賞賛されたことから徐々に広まったのだそう。

嘘、その2。
食物としてのバナナは紀元前よりアフリカや東南アジアで食べられていたが、これは芋のように蒸して食べる主食であり、熟させて食べる果実としてのバナナの栽培の始まりは1874年まで下る。
アメリカがコスタリカで大規模プランテーションで栽培を始めてから普及したのだそうで、あくまで最初から大量生産・大量販売の商業作物として栽培が始まったのだ。
織田信長はもちろん、坂本龍馬もバナナなど見たことがなかったはず。

日本にバナナが初めて輸入されたのは1903年(明治36年)。
フィリピンでドール社がバナナ・プランテーションを始めたのはなんと1966年。
僕の少年時代にはすでにバナナは当たり前にありましたが、当時はまだようやく庶民の口に入るようになった食べ物。
そんなもんなんですねー。
母がよく「昔はバナナは高級品だった。」という意味が改めて理解できました。

テキトーなハッタリをかましたのは、単なる思いつきです(>_<)。


音楽はハリー・ベラフォンテの“Banana Boat”。
この歌、とても能天気な南国ムードだけど、実際過酷労働を憂うブルースなんですよね。
当時、“Black Lives Matter”なんてとても声に出せないくらい、アフリカ系労働者の命は軽かった。
過酷な労働を生まれながらに強いられた黒人労働者たち。
自国民の食糧よりも輸出用の産物を安価で作り続けることを押し付けられた第三世界の国々。
この国に生まれそれなりの幸福と安寧を享受できていることなんて、ほんとうにたまたまでしかない。
そのことを噛みしめなくてはいけないと思う。
この酷暑の中、クーラーのきいたオフィスや自宅でのテレワークが可能なのは、炎天下で働く人たちやいわゆるエッセンシャルワーカーの人たちのおかげ。
これだって、たまたま。努力や能力の差ではない。
そのことに思い上がった瞬間に、僕らの暮らしは足元から崩れていくんだと思う。
過酷な真夏の労働に感謝を込めて。









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コメント

[C3389]

Bach Bachさん、こんばんはー。
庶民の音楽は元々、労働歌か瓦版ですもんね。
この曲の“デーオー”のコーラスには、たぶん、バナナ出荷の掛け声とか元々のルーツがあるように思います。
知らんけど(笑)。

[C3387] カリプソって

お久しぶりです!毎日暑いですねえ。

カリプソって、もともとがニュースを伝えたり、その延長でプロテスト・ソング的であったりしたらしいので、ハリー・べラフォンテあたりまで来てもまだその名残があったのかも知れませんね。

そういう音楽でもどこか楽園ムードを感じるのが、中南米の音楽の良さでしょうか(^^)。

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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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