相変わらずブルースばっかり聴いている今日この頃。 指先やつま先がチーンと凍えてしまうようなよく冷える日には、特にブルースがよく浸みる。 ブルースは決して明るい音楽ではない。 けれど、決して暗い音楽ではない。 思うようにたちゆかない暮らしのやりきれなさや、嘆きや、悲しみや、苛立ちを歌いつつ、その芯にあるものは、とてもとても強い。 「がんばれ」とか「勇気を出して」なんて薄っぺらい言葉で語られるようなものとはまるで次元の違う、もっと根源的で生命力に溢れた強さ。 凍てついた日にブルースの世界に身を委ねていると、なんだかいつの間にか心の底から、体の中から、じわじわと暖まってくるような気がする。 冷たい風がびゅんびゅん吹き荒れるシカゴの街の片隅で酒瓶とギターを抱えて歌うブルースマンの姿が見える気がする。 そして、その体からほとばしる、汗や唾や唇の動きや弦を弾く指の動きのひとつひとつが、どうしようもなくかけがえのない素晴らしいもののような気がして来るのだ。 ブルースマンの恋/山川 健一 僕がブルースの世界に足を踏み入れるきっかけになったのは、僕らの世代のブルース好きのご多分に洩れず、ストーンズのルーツを遡ってのことだ。
そして、さらに好きになるきっかけとなったのが、この山川健一の『ブルースマンの恋』という本。
よくありがちなブルースマンのバイオグラフィーなんかを並べたものではなく、ブルースマンの生い立ちやエピソードから想像力を広げて、ブルースマンたちそれぞれの恋愛や生き方を、敬意と愛情をもって語られたもの。
この本のおかげで、それまでは古いノイズの中にぼやけた像しか浮かばなかった、凄いんだろうけど何が何だかよくわからなかったブルースが、一気にリアルに身近に感じれれるようになったのは確かだ。
僕が持っているのは、1989年に東京書籍から出たハードカバー。
この本にはCDが付録で付いていて、そのCDを何度も何度も繰り返し聴いた。
そのうちもっともっと知りたくなって、そこに収められた9人のブルースマンのアルバムを一枚一枚買い揃えながら僕はブルースの奥深い世界に足を踏み入れていったのだ。
しかし、ブルースの世界が凄いのは、そこに留まらない。
年齢や経験を重ねて聴くたびに、違った聴こえ方があり、違った感じ方をし、今まで見えていなかった新しい世界が見えることだ。
まだまだそのことをうまく言葉で語ることができない自分がもどかしいのだが、一方でそれは、言葉で語ることすら馬鹿馬鹿しくなるくらいの物凄く豊かでとてつもなく圧倒的なものなのだという気もする。
例えば60才や70才になった時には、このブルースは一体どんなふうに響いてくるのだろう?
そのことを確かめるために歳を重ねていくのも、それはそれでまんざら悪いことじゃないな、なんて思ったりしている。
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