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♪Empty Garden (Hey,Hey Johnny)

仕事中に突然、ケイタイが鳴った。珍しく実家からだった。
他の電話に出ている最中だったのでまぁまた後で掛けなおすや、と思って無視していたが、切れる気配もなくケイタイはずっと鳴り続ける。
え、ひょっとして、何かあった?
つい最近も父親が入退院を繰り返していたところだ、まさか、と思った。
話中の相手に非礼を詫びて電話に出た。
母だった。
大した用件じゃなかった。
安心した。
用件を聞いて、仕事中だからとつっけんどんに切ってから、少し後悔した。

いつか父も母も死ぬ。
わかってはいるけれど、実感としてはなかなかない。だからなかなか優しくなれない。
幸いなことに僕は、この42年間、たったの一人として、ほんとうに身近で大切な人を見送ったことがない。それはほんとうに幸いなことだ。


12月8日。ジョン・レノンが撃たれた日。

夕暮れのニューヨークで、よく手入れされた庭の前をふと通りかかる。
ここには誰が住んでいたんだろう?
彼はとてもよく気の効く庭師だったに違いない。
雑草を抜き、よい作物を育てた。
僕らはそのことに気が遠くなるような思いがするんだ。
その庭師の代わりになれるような人なんて誰一人いはしないから。

1982年、エルトン・ジョンが歌った“Empty Garden”は、そんなふうに腕のよい庭師に例えてジョンを讃え、そしてジョンの不在を嘆いた歌だ。

僕はずっとノックをし続けている。
けれど、誰も答えてはくれない。
ほとんど一日中、僕はノックし続けたんだ。
「ねぇ、ジョニー、ねぇ、ジョニー!」
今日は表で遊べないのかい?

僕らは雨の中で祈りを捧げる
一粒一粒の雨粒にさえ願いを込めて
そして僕らには君の名前が聞えたんだ

ねぇ、ジョニー、君の庭は空っぽで、もう遊べないのかい?

歌はこんなふうなリフレインで終わる。
雨の中で祈りを捧げるように。

親しいつきあいというのは、例えれば自分の心の中にその人の庭が出来るようなもの。
通りかかる度に、その庭のきれいな花やよく茂った木に元気づけられたり、逆にその庭が枯れかかっていたら気になってしまったり。
そんな庭が空っぽになってしまったときのせつなさを思うと、心が張り裂けそうになる。
願わくば、心の中の庭にたくさんの花が咲き誇り木々が、いつもいつまでも生い茂っていてほしいもの。
そんなことを思った。


(Empty Garden 原詩)


Greatest Hits 1976-1986

Greatest Hits 1976-1986/Elton John



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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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