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瘡蓋

かさぶた(瘡蓋、英:scab, crust)

外傷の経過した形状の一種。
性質上、大きく深い裂傷などよりも擦り傷などに生じたものの方が、出血面積が広いため目立ちやすい。
動物の生体保護現象の一つで、主に傷口の出血を止める目的の過程で発現する。
(Wikipediaより)




3、4ヶ月くらい前だっただろうか、まだ寒い時期だった。
耳掻きをしていたら、なにかガサッという音がした。耳垢こそとれたものの、ズキッとした痛みが気になった。
あー、やっちゃったかな。
翌日から、左耳にどよんと鈍い違和感が残り、恐る恐る綿棒を挿しこんでみると、黄色くてべちゃっとした粘液が綿棒の先にまとわりついている。
こういうのは気にしちゃダメだ。
そっとしておいて治癒を待たなくっちゃいけない。
・・・と、頭ではわかってはいても、やっぱり気になってしまうのですよね。
ムズムズする。指で耳穴の入り口を掻いたところでどうにもならない。
我慢できずに耳掻き棒を挿れると、べとっとした耳垢がさじのところに残る。
あー、触るべきじゃなかったかな。。。

そんなこんなで2、3週間経って。
ようやく気にならなくなって忘れかけていた頃に、左耳の奥に強い違和を感じた。
耳掻き棒を挿しこむと、1cmくらいの下側になにか塊のようなものがある。
少し強く掻くと、ゴリッという音とともに、1mmくらいの黒い血の塊のようなものが取れた。
が、翌日からはまたムズムズとべちゃべちゃの繰り返しだ。

それからまた数週間。
また忘れかけた頃に違和感が出て、ゴリッ、ムズムズ、べちゃべちゃ。
そのあともまた数週間。
ゴリッ、ムズムズ、べちゃべちゃ。
「それって、外耳炎をとかそーゆーやつ?医者行ったほうがええやつちゃうん?」とクールに妻。
わかっちゃいるけど、どーしよーもないほど痒かったり痛かったりというほどでもなく、今更感もある。
「いや、もう治りかけてるし。」
そうは言ったものの、ひょっとして悪化してんじゃね?
ほんとにほっといてだいじょうぶ?
いや、治りかけてる。だいじょうぶ。
ほんと?「生兵法は大怪我の元」なんじゃね?
いやいや、「呉牛月に喘ぐ」だ。「杞人の憂」だ。大したことではない。
どうせ日にち薬でしか治らない。

そんなこんなを繰り返して。。。

もうすっかり違和感もなくなって、忘れかけていたつい先日。
久しぶりにムズムズした。

今回ごそっと出てきたのは、黒っぽい塊ではなく、白くてカサカサに乾いた大きめの固まり。
これまでのとは違う。

あ、これでだいじょうぶだ、と思った。

次の日からもべちゃべちゃがない。
かれこれ3、4ヶ月かかって、どうやらひとつのサイクルが完了したようだ。
やれやれ。




傷ができれば、それを保護するために血小板が傷を塞ぐ。
周りの細胞が新しく作り出される過程で、瘡蓋ができる。
瘡蓋は自然に剥がれるまで放置しておけばいいのだが、いたずらに触るとまだ治癒していない傷口が開いてしまう。

これ、生身の肉体の傷だけじゃなく、心の傷も同じことが言えるんだろうね。


傷が癒えるのにはある程度の時間がかかる。
傷ができたら、雑菌をシャットアウトして、時間をかけて癒すしかないのだ。

ある日、ぽろっと瘡蓋が剥がれる。
そのときには、傷口は癒えて、新しい皮膚ができあがっている。
そのことをうまくイメージできれば、足掻いて悪化させることはないはずなんだけど、なにしろ傷口が見えないもんだから、これくらいだいじょうぶとつい触ってしまったりする。
手助けのつもりの言葉が、逆に雑菌を広げてしまったりもする。
傷口から来る痛みこそが生きている証かも、と思った年頃もあるし、痛みを忘れないよう敢えてヒリヒリする薬を塗り込むようなことをしたこともあったけれど、そういうのはもういいかな。
敢えて満身創痍になることもないはずだ。


振り返ってみると、いくつも瘡蓋があるね。
大きめのも小さめのも。
軽率で作ってしまったものも、やむをえなかったものも。
生きてりゃ仕方がないんだろうね。
ひとつの瘡蓋も持たない人が素晴らしいかといえば、そういうわけでもないだろう。
瘡蓋はずっと後まで痕跡が残るけど、それはそれで生きてきた証でもある。
気にしないほうがいい。
ぽろっと剥がれるまでは、そのまま放っておけばいい。
それでも気にしちゃうのが人なんで、それもありなんだろうけどね。


それにしても、体や心の機能っていうのはおもしろい。
傷ができれば、それを保護するために血小板が傷を塞ぐ。
周りの細胞が新しく作り出される過程で、瘡蓋ができる。
こういうことが基本的機能として備わっている。
意識がどうであれ、無意識のうちに、体や心は治そうとする機能を働かせる。
それが生き物の本質なんだろう。
だから、本質に任せておいてだいじょうぶなんだと思う。
だから、心配ない。



さて、音楽を。
瘡蓋をひっぺがしてはジクジクした感じを楽しんでいるような印象もある、ブライアン・フェリーの、心配しないで、と歌っている本人を心配してしまいそうな“Don't worry baby”のカバー。
でも、根元的な生命力や楽観力も感じるのですよね。
暑いんだか冷えるんだか、どんよりなんだかクールなんだかを行ったり来たりの今の感じにちょうどいい。
抱え込むよりも、気持ちのいい音楽でも聴いて、免疫力を高めるべきだよ。








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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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