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昔の友達と昔からの友達

高校時代の友人WからLineが来たのは、ゴールデンウィークが終わった週明けのこと。
以前に高校の同窓会があったときに携帯番号を公表していたから、きっとそこからたどったんだろうと思う。

「今どこに住んでる?」
「京都。」
「元気にしてるのか?」
「まぁ、それなりには。」
「俺も仕事でよく京都行くわ。」
「そうか。」

高校一年の頃、学校帰りによくWの部屋へ遊びに行った。
当時Wはピンクフロイドの大ファンで、古いロックを聴きまくっていた。
スプリングスティーンやヴェルヴェッツやドアーズやフーをWに教えてもらった、そういう意味ではWは僕の人生を振り返ったときには欠かせない一人の登場人物である。
二人とも勉強もスポーツもいまいちで当然女の子にもモテるわけもなく、うだつの上がらない醒めた高校時代を送っていたのだ。
しらけきっていた。
このまんまなんてことなくフツーに、しょぼくておもしろくもなんともない大人になるんだろうな、ってあの頃は思っていた。
いや、ほんとはそうじゃないだろと思っていた。そう思いながら、クラスメイトたちの顔色を伺って醒めたポーズをとっていたのだと思う。
孤立するのが怖くて周囲にあわせていた。
そんな自分が好きじゃなかった。
だから僕は、高校卒業と共に町を離れたんだ。

就職してしばらくして一度だけWと会ったことがある。
その頃、Wはもうロックを聴かなくなっていた。
「もう、ロックなんか飽きた。」
と言い、仕事の愚痴やどうでもいいテレビ番組の話をする奴の言葉を聴きながら、なんだかつまらない奴になってしまったんだな、って思ったのだった。

当たり障りのないやりとりのあと、

「来週、◯◯で、OとSといっしょにゴルフをやるけど、どう?」

って。

まぁ、そんなことだろうと思ったよ。

ゴルフ?
残念ながら、まるで興味がない。
ゴルフが悪というわけではないけれど、そういうものが象徴するおっさん的価値観をずっと遠ざけてきたのだ。

俺はあれから、いろいろあったんだよ。

高校時代のことなんて、正直おもしろくも懐かしくもなんともない。
どうせ会ったところで、どうでもいい世間話で時間が潰れるだけだ。
30数年という時間で自分の中に起きた変化は、きっと奴には伝わらない。

僕はこう返信を書いた。

「ゴルフはしません。
正直、高校時代のことはおもしろくも懐かしくもないので、距離をおいています。」

奴からは、
「そんなこと言うなよ。OもSも懐かしがってるし。」
という返事が来たけれど、やっぱり気持ちは向かない。

残念だけど、俺は今の方が
あの頃の何百倍も楽しいんだ。



ゴールデンウィーク前後はたまたま昔からの付き合いの友人に会う機会が多かった。
大学時代の友人、最初の会社の友人、就職してすぐの頃の仲間。
それなりには懐かしい。
自分の過去を振り返ってみる上では悪い機会でもない。
でもさ、「昔の友達」との懐かしいなぁ、なんて会話はものの15分もすればネタ切れになる。
そういう会話が終わったあと、1時間も2時間も当たり障りのない会話をするのはなかなかの苦行ではある。
わかりきっている苦痛を辛抱しながら酒を飲むなんて、仕事の付き合いだけで十分だな。

大学時代の友人でも、つい最近、ほんとに久しぶりに会った男がいた。
彼は当時、劇団の看板役者で僕は音響や照明や端役でちょこっと、みたいな立場だったから格が違ったんだけど、
「あのお前がそういうこと言うようになるとはなぁ。」
とか、当時のまんまの上からっぽく話をするからカチンときてさ。
そのくせ、
「あと20kg痩せてたら、今でもモテモテなんやけど。」
とかわけのわからんことをぬかすから、なんだか悲しくなった。
お前、まだそんなとこにおるんか。
若き日の成功体験に追いすがって現実を見ようともしないなんて、悲しすぎる。
当時「勝っている」と思って見下していた僕がとても楽しそうなので、そうじゃない自分を見るのが嫌になったんじゃないのか?



「昔の友達」って、なんだろう。
「昔からの友達」は別だ。
当時は当時、今は今。
生きてりゃ当然いろいろあって、好みも性質も考え方も少しずつ変わる。
そのことをお互い受け入れて、今の話ができる人たちとのお付き合いは楽しい。
どーでもいいバカ話であったとしても、すっきりする。
「昔の友達」と「昔からの友達」の差はあまりにも大きい。
その違いはなんだろう、その違いはどこから来るのだろう。


Wが好きだったピンクフロイドにこんな歌があった。

おまえは若いゆえに人生はまだ長く
今日も持て余すほどの時間がある
だがある日、おまえは気づく
十年という月日が
とっくに過ぎ去ってしまっていることを
(Time)

そんなふうに人生を過ごしたくなかったから、僕は僕なりに遠くを目指したんだ。
この先はもう、無理して理解を求めないと伝わらない人たちとのお付き合いはできるだけスルーしたいな。
気が合う人とだけ、楽しく過ごしたい。


さよなら、W。
君を懐かしいと思うことは、これから先もずっとない。







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コメント

[C3302]

Bach Bachさん、ありがとーございます。

やっぱりありますよね、そういうこと。
まだ自分が何者かもはっきりしない時期に、クラスが一緒だった程度のお付き合いは、その後お互いに変わっていくのも当然なのかもしれません。

ゴルフはね、別に目の敵にするわけではないけど、ああいうものが象徴する世界とは距離を置きたくなります(笑)。
彼にとってのロックは一時期の熱病のようなものだったんでしょうね。
そのことを否定するつもりはないけど、自分とは違ったな、と。
  • 2019-05-15 07:45
  • golden blue
  • URL
  • 編集

[C3301] 数年前に

同じような体験をしました。僕にロックを教えてくれた中学生の頃の友人と再会し、そして別れました。二度と彼と会う事もないでしょう。ただ、若いころに彼と過ごした思い出は大事にしておきたいと思いますが。

ボブ・マーリーが「人間は自分にふさわしい運命を自分で選ぶ」なんて言ってましたが、日本の労働者階級におけるゴルフが象徴するものを受け入れる様を見ると、本当にロックを聴けていたのかと疑問に思ってしまいますよね。

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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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