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リズムを選ぶ / 音楽を言葉にする

ロックのビートが自分を打って去るその瞬間を、どんな形ででもよいから書きとめておきたかった。文章を書けば書くほど、ロックそのものから遠ざかってしまうような気もしたが、瞬間の印象を書きとめておかなければ、ぼく自身が空中に霧散してしまうようで怖かったのだ。

これは、山川健一さんの「壜の中のメッセージ」という小説集の中の一作“青い空との別れ”という作品の中の一節。
ゴールデンウィークで部屋の片付けをしていたら段ボール箱の底から出てきて、つい夢中になって読みきってしまった。

これ、初めて読んだのはいくつくらいだっただろう。
高校3年生だったか、大学に入ってからだったか。まだ元号が昭和だったことは間違いない。
主人公が、ミュージシャンではなくロック評論家志望であること、そのロック評論家志望が呟く「なぜ音楽を言葉で表現しようとするのか」に強く共感したのを覚えている。

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壜の中のメッセージ / 山川健一

今思えば、若さゆえの刹那的な発想であって、実際に年をとってみると、若い頃に感じたことを失わずに大人になることは可能だったし、人生は若い頃に想像していたよりも絶望ばっかりでもなく、はるかに楽しめるものだと気づくのだけれど。
でも、これを読んでいた当時は、切実な言葉として心に響いたのだ。
今、感じている何か。
うまく言葉にできそうもない何かを、なんとかして表現できる術はないものか。
言葉でなくてもいい。誰にも伝わらなくてもいい。ただ、この気持ちを何か形にしてみたい。
そうは思ったものの、なんにもできることはなく、モヤモヤを抱えていたのだったと思う。

主人公はある女性から「ロックは言葉で表現できない」という言葉を突きつけられる。

「私は、あなたみたいに自分が思っていることをうまく言うことができないの。でも、このことだけははっきり言うことができる。
それは、あなたが、このレコードはなかなかよくできている、って書くのは間違いだってことよ。このレコードは力作である、新たなロック・シーンを切り拓いた名作である。そんなことは誰も聞きたいとは思っていないわ。なぜ一言、ぼくはこのレコードが好きです、って書かないのよ。」

この言葉は、ロックンロールという音楽の持つ衝動への欲求と批評性という矛盾を的確に捉えて衝いている。
ロックを言葉で表現することはとても難しい。
っていうか、どれだけ言葉を尽くしたところで、ロックンロールのギターの音一発、ドラムのひと叩き、シャウトひとつには到底叶うはずはないのだ。
ただ、ロックという音楽は、決して有り余ったエネルギーを発散するだけの音楽ではない。溜まりまくったストレスを放出するだけの音楽ではない。
そこには、その作者なり演奏者なりの世界に対するスタンスがあり、世界の切り取り方がある。そこも含めて僕らは共感したり、自己投影したりする。
だから「このアルバムが好きだ。」だけでは、やはりなにかを伝えたことにはならないのではないか。
なぜ好きか、どう好きか、どこがどういうふうに響いたのか、そのことを伝えようとする言葉の模索の中にエモーションがこもる。
その人の人柄やこれまでたどってきた人生や、今の暮らしが浮かび上がってくる。

ロジックとエモーション。
ロジックを伝えようとする中に込められるエモーションこそがロックンロール的なんじゃないかと。
ロックについて語っていようといまいと、心の中にあるひとつのイメージや複雑な形をしたもやもやしたものを、なんとか言葉を費やして形にしようとする絵や写真や文章に触れると、とても嬉しい気持ちになるのは、きっとそういうことだろう。


この作品にはもう一ヶ所、長く自分の心に留まり続けた言葉があった。
主人公は、女の子と待ち合わせをしている喫茶店で流れてきたスーパートランプの“Breakfirst In America”を聴きながらこんなことを考える。

リズムを選ぶということは大切なことだ。
しかもむずかしい。
どんなリズムで毎日を暮らすか、ということで生涯が決まってしまう。
縦切り型のパンクのリズムで一生を駆け抜けてしまうのか、ウェスト・コースト風ののんびりしたリズムでくつろいで、どこまでも続く退屈な日常というものに耐えていくのか。


どんなリズムを選ぶのか。
自分の心にちゃんと響いてくるリズムはどういうリズムなのか。
どんなリズムを鳴らすのかとは、つまりはどんな生き方を選ぶのか、ということだ。
これはけっこう真に受けて、「ロックだぜ!」と鼻息を荒くしたもので、結果として不要な敵を作ったりもしたけれど、迷ったときに前を向く推進力にもなってくれた。

「どんなリズムで毎日を暮らすのか?」という問いに対して今ならばどういう答を選択するだろうか。
自分なりに得た結論は「心の風向き次第で選べばいいんじゃない?」ってところだろうか。
「俺はこれ一筋」なんて絞る必要はなかった。
パンクなビートもブルーズの鼓動もレイドバックしたリズムもどれもあり。
退屈さえも楽しめるくらい楽しいことはあっちこっちに転がっていて、それを楽しめるかどうかは心の持っていき方次第。
ただ、なんであれリズム、ビートは感じていたいよね。
自分のビートをキープする、そのことで不要ないざこざや、ちょっとした迷いから解放させる。
そうして自分のビートを鳴らし続けることさえできれば、たぶん間違わない。間違いだとしても気にならない。間違ったとしても悔やむことはない。
久しぶりに再読して、改めてそういう気がしてきた。





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[C3300]

名盤さん、こんばんはー。
お店、どんな感じですかー。
揺れ続けていくのもありですよね。
それもそれで自分のペース、自分のリズム。

山川健一さんは、その辺にいる感じのハードルの低さm持ち味ですよね。

  • 2019-05-11 22:14
  • golden blue
  • URL
  • 編集

[C3299]

ぼくさん、お久しぶりです。
そうですね、リズム、グルーヴ。
選ぶというよりは、自分の中で鳴っているものに耳を澄ます、本当に自分の根っ子にあるものはどういうものなのかを知る、みたいなことでしょうか。

ずっと続けていた人がブログ辞めちゃうことも増えてきましたね。
僕はまぁ、淡々とマイペースで。

  • 2019-05-11 22:11
  • golden blue
  • URL
  • 編集

[C3298]

僕のリズムはずっと、フラフラと揺れ続けています。

20年位前だと思うけど、東京の電車の中で山川健一見かけたことあります。

[C3297]

ぼくにとっては、グルーヴってことですかね、グルーヴって何なのか、曖昧過ぎて自分でもわかりませんが
聴く人の心を揺らし、自らも揺れるようなテンポ、le tempo dell’ anima , 選ぶまでもなく、そういうグルーヴィーなテンポでしか生きていけないのかな、という気がしました
何となくフラっと立ち寄って書き込んでしまいましたが
ここはずっと続いていて、嬉しいです、楽しみに読んでます、また書いてください
  • 2019-05-11 20:50
  • ぼく
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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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