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堕落論

「学校って何のためにあるんですか。試験は何のためにするんですか?制度は人間が必要として作ったもので、それに縛られるのは逆なんじゃないですかー。」
気の弱そうな教師に向かって悪態ついていた生意気盛りの高校生の頃の自分。
ビシッとしてそうな教師には言わない(笑)。
あぁ、めんどくさい高校生だった。
こういうことを意気がって言いたくなる年頃ってのは誰しもあるとは思うんだけど(ないか?)、その発言の影響はこの人だったかもしれない。

古典を読んでみるシリーズその5、坂口安吾。
この方も1906年(明治36年)生まれで、大正期に思春期を送った世代だけど、ブレイクしたのは終戦直後に出版された『堕落論』や『白痴』以降とのこと。

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堕落論 / 坂口安吾

『堕落論』は、かなり衝撃的でパンチのある文章だった。
堕落、という言葉を使うととても挑発的で、もしSNSがある今の時代なら、炎上しまくってたんじゃない?と思うような極端な比喩や飛躍した論理展開もしばしば。
っていうか、当時に於ても、敢えて過激な物言いをすることで、ごく普通の暮らしをしている人たちの平凡な考え方に一石を投じようとしたのではないか?と思われるような感じもある。

時代は終戦直後。敗戦を境に、いろいろな価値観が180度変わってしまい、先日までお国のために働いていた兵隊さんが闇屋になり、未亡人が娼婦になる、そういう時代。誰しも生き延びるのに必死な中で、そうやって「身を堕とす」ことへの旧来的価値観による批判や揶揄を否定したもの。
人間はとても弱いので、律しきれるものではない。だからといってとことん堕ちきれるほど強くもない。
だから安定した社会を作るために制度を作り社会を運営してきた、というようなことを、戦後の社会の荒廃と希望、天皇制、農村と都市との関係、或いは共産主義や世界連邦的な考え方をいろいろと引き合いに出して述べ、どんな制度も制度そのものが直接人間を幸せにすることはない、と言い切っている。

この言い切りがかっこいいと思ったし、当時の僕はそんな理解をして、ああだこうだと屁理屈的な理論武装をしたつもりだった。ズバズバという物言いが痛快で、偏屈親父が社会に対して物申す!というような本だと思っていた。
けど、実はそうではなかったんだな、というのが今回の印象。

堕落論の〆にある主張は、こういうものだ。

人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。
なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。
人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。


若い頃は正直よくわからなくって、わかった感じのところだけつまみ食いしてたんだろうけど。
若い頃にこういうものを理解して真に受けちゃうと、困ったことになったかもね。
真に受けて、堕ちるところまで堕ちてから、自分の弱さに気付き、制度にしがみつく。それはそれでかっこいい生き方とは言えない。

今思うのは。
要は、人は弱くてもいい。
弱いことを自覚した人だけが、強さを身につけることができる。
というようなことだろうか。

若い頃、坂口安吾の痛快な物言いは、ジョン・ライドンみたいなもの、中身は薄かろうが濃かろうが一発かますことのほうに意味がある、という感じだと思っていた。
自分の書いたものが将来にわたって評価されるかどうかよりも、今この瞬間この時代に爆弾を仕掛ける感じ。
そういう側面もあるにせよ、弱さを直視して堕ちきればいいのだという一種のダンディズム、その考えはおそらく主流にはなりえないことはわかりつつもそこにある美学的な執着に、ブライアン・フェリー的なものも感じるな。

ちなみに、続編である、『続堕落論』には、こんな言葉もあった。

人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。
欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。
好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一の条件だ。
そこから自分と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる。


うむうむ。これはわかりやすい。
清志郎をはじめ、あまたのロックンローラーが叫んできたことはまさにこれだ。
まずは自分が欲するものは何であるのか。
それを知ることからしか始まらない、ということだ。
そういうことを僕は、文学からではなくロックから学んだのだけれど。







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コメント

[C3289]

Bach Bachさん、こんばんはー。
坂口安吾、よくわからない幻想的な短編があたり、社会に対して物申す的なエッセイがあったり、ちょっと眉唾の山師みたいな人ですが(笑)、けっこうおもしろかったですよ。
  • 2019-04-14 18:15
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C3288] へえ

読んだことありませんでしたが、坂口安吾ってそんな感じなんですね。読んでみたいと思いました。

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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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