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檸檬

先日、林芙美子さんに感動して、もっと古典に触れてみようと図書館へ。
ところが、いろいろ物色したもののいまいちピンと来るものがなくて。
その作家と相性が合うか、パラパラと数行読んだだけでピンと来るものなのだ。
有島武郎、国木田独歩、島崎藤村、志賀直哉、武者小路実篤、樋口一葉、、なんか違う。こういう感じはあまりなじまない。
あぁ、それだったら以前いいなと思ったものを読み返してみよう、と梶井基次郎を手にとってみた。

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檸檬 / 梶井基次郎

若い頃、確か大学生の頃に読んだときは、ちょっと世の中の真ん中からはずれてさまよっている感じや、陰鬱な影があるところがとても印象に残った、って感じだったかな。
寺町をうろついたあと丸善に檸檬を置いてくるシーンは、自分が知っている街だけに、その情景が鮮やかに浮かんだのをよく覚えている。

この年になって読み返して思ったのは、鬱で精神のバランスを崩した危うい世界観を表現しつつも、こちら側に踏みとどまり続けた人だったんだな、ってこと。

『Kの昇天』という短編がある。
ここに登場する主人公は、療養に訪れた海辺でKという男と出会う。Kは満月の夜に自分の影を見つめている。
「影と『ドッペルゲンゲル』、私はこのふたつに月夜になると憑かれるのですよ。この世のものでもないというような、そんなものを見たときの感じ。ーその感じになじんでいると、現実の世界がまったく身に合わなく思えてくるのです。だから昼間は阿片喫煙者のように倦怠です。」
とKは言う。
その後、知人を通じてKが死んだことを伝えられる。死体は月夜の浜辺に打ち上げられていた。
主人公がその知人にKとの出会いの回想を書く書簡のスタイルで書かれたこの短い小説で、月夜に溺死したKにシンパシーを抱きながらも、主人公はこちらに踏みとどまっている。

『檸檬』にしてもそうだ。
主人公は丸善の書棚の前で鬱々とした気持ちに陥りながらも、そこに爆弾に見立てたレモンを置いてくる。
そうするに至る感情の浮き沈みを観察しスケッチする視点は、鬱的な気分に飲み込まれることなく、こちら側に踏みとどまっているだけの冷静さに依るものだと思う。

何かを表現する人は、本質的に健全であるべきだ。
健康でなくてもいいけれど、健全であること。
社会的にという意味ではなく、向き合うべき対象に対して健やかで全う、というような意味での健全。
病的なものを表現するのに本当に病気になってはいけない。
あちら側の世界を描く人が本当にあちら側に行ってしまってはいない。
行ってしまいたくなる衝動さえも観察し、そのことでこちら側に踏みとどまるからこそ、その表現に陰影ができ深みが生まれるのではないか、と。

あと、この視点は深いな、と思ったのは『路上』という短編のこういう一節。

吾々は「扇をさかさまにした形だ」とか、「摺鉢を伏せたような形だ」とかあまりに富士の形ばかりを見過ぎている。あの広い裾野を持ち、あの高さを持った富士の容積、高まりが想像出来、その実感が持てるようになったらどうだろうーそんなことを念じながら日に何度も富士を見たがった、冬の頃の自分の自然に対して持った情熱の激しさを今は振り返るような気持ちであった。

病がひどくなる前に感じていたことを回想するシーンではあるけれど、富士の容積を実感したいという気持ちは、単に世を僻んでいた人の目線ではない。
大きなもの、自分の想像を越えたものを見ようしていた人。
そういう印象が強く残った。


梶井の文章は、これが大正の終わり~昭和の初めに書かれたとは思えないほど、古くささを感じない。散文的で流れのある文体が、言葉を前へ前へと運んでいく感じ。その心地よさ。
元々病弱だったそうだが、31才という若さでの夭逝。
生前にはきちんとした形で出版されたものはなく、今文庫でまとまっているものはすべて文芸雑誌に掲載されたものだったそうだ。
そういうところからくる手垢のつかなさ、文豪っぽさのなさ、地べたではいつくばりながら観察されたある種のストリート感覚。
現代人にも通じる、ホームをなくしてあてどないさまよう感覚や、苛立ち、アンバランスな情緒性。
そういうものが、彼の小説が古びない理由なのかもしれない。

あとがきに書かれた経歴を見ていて、学生時代には音楽の勉強をしたこともあった、という一行にあっと思った。
この人もきっと、別の時代に生まれていたら、ロックンロールに夢中になったに違いない。
散文的かつ不健康で社会から逸脱した感じ、厭世的で無力感ややるせなさと冷たく鋭い危うさを抱えた感じは、敢えて例えればリチャード・ヘルやトム・ヴァーレイン。
そこまで耽美的ではないとすれば、ジョナサン・リッチマンやジュリアン・コープ、中期ルースターズあたりか。リプレイスメンツのポール・ウェスターバーグなんかにも近い感じかな。
そんな勝手な想像をしながら読み耽ったのでした。






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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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