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放浪記

僕はちょっと活字中毒気味のようなところがあって、文字であれば片っ端から読む。
なので、ジャンルに関わらずいろんな本を読むのだけれど、意外にも、いわゆる「古典」というものはほとんど読んでいないのです。

文庫本の文字が小さすぎる、とか、旧仮名遣いが煩らしい、ということもあるのだけれど、それ以上に拒否感があるのは、中学生高校生の頃に教科書や副読本で読まされたものや、教師が読めと薦めたものが、つまらなかったり、説教臭かったりしたせいだと思う。
リズム感っていうか、スピード感っていうか、そういうものが足りない、と、その頃の僕が具体的にそう感じたわけではないけれど、今思えばそういうことだったのだろうと思う。
いわゆる古典文学というものは、もっさりしていて、めそめそして、やけにどろどろしていて暗くて湿っぽいものばっかりだ、と当時は思っていた。当時新しかった、村上龍や山川健一のビート感や村上春樹の透明な浮遊感、高橋源一郎のシュールさや椎名誠のポップさにはほど遠いものだと思っていた。
ロックじゃないんだよな、昔の文学は。
そう思っていた。
まぁ、実際のところはちゃんと読みもせずそう決めつけていたのだけど。

そんなわけで漱石も鴎外も芥川も三島も谷崎もろくに読んではいない。海外ものは言わずもがな。寺山修司や開高健ですら古臭くて胡散臭いと感じていた。
気に入って読んでいたのは、梶井基次郎、坂口安吾、中原中也、中島敦、くらいだろうか。それも、ごく一部の作品が気に入ったに過ぎない。


先日たまたま某B○○K OFFをうろうろしていて、100円文庫本のコーナーで林芙美子さんの「放浪記」を見つけて。
この人のイメージも、例の森光子のでんぐり返りの印象しかなくって、なんか押し付けがましい人生讃歌系なんだろ、と思っていたのだけど、なんとなく気になって手にとってみて、、、ほんの数行読んでぐいっと引き込まれてしまったのです。

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放浪記 / 林芙美子

生まれついての根無し草。底なしの貧乏。宛てのない無軌道な青春。
ころころと職を変え、男のところに転がりこんではすぐに嫌気がさして飛び出して。
自暴自棄と紙一重の自由気ままさ。
自由と表裏の不安や孤独感。
ちょっとしたことでぽわんと浮いたり、ぶちんとキレたり、どぼんと沈んだり・・・の不安定な情緒。
おそらく周囲にこんな人がいたらきっと迷惑する。今で言う「イタイ奴」には違いない。
でも、その屈託のなさ、朗らかさ、縦横無尽のバイタリティーに圧倒される。
なにより言葉のリズムがすごくいい。
へヴィーな感情ををたった一言でぐさっと決める。

「信ずるものよ来たれ主のみもと・・・
遠くで救世軍の楽隊が聞える。何が信ずるものでござんすかだ。自分のことが信じられなくて、たとえイエスであろうと、お釈迦さんであろうと、貧しいものは信じるヨユウがない。」

「この人は有難い程深切者である。
だが、会っていると 憂鬱なほど不快になってくる人だ。」

「あぶないぞ!あぶないぞ!あぶない無精者故、バクレツダンを持たしたら、喜んで持たせた奴らにぶち投げるだろう。
こんな女が、一人うじうじ生きているより早くパンパンと、地球を真っ二ツにしてしまおうか。」

「右へ行く路が、左へまちがったからって、馬鹿だねぇと云う一言ですむではないか。
悲しい涙が湧きあふれて、私は地べたへしゃがむと、カイロの水売りのような郷愁の唄をうたいたくなった。」

「パン屑が虫歯の洞穴の中で、ドンドンむれていってもいい。只口の中に味覚があればいいのだ。」


この救いようのなさはまるでジャニス・ジョプリンだな。
この自由奔放さと底なしの絶望感はまるで若き日のパティ・スミスだな。
このぶちギレて狂気すら孕んでいるにも関わらず愛らしくてキュートな感じはまるで戸川純だな。
そんなことを感じながら、一気に読み尽くしてしまったのです。


林芙美子さんは1903年の生まれ。
放浪記の舞台になっている1920年代前半頃といえば、ニューオリンズでジャズが興り、ミシシッピーデルタでブルースが演奏されはじめた頃。
ルイ・アームストロングが1901年、サン・ハウスが1902年の生まれで、その前後数年にはブラインド・レモン・ジェファーソンやサニー・ボーイ・ウィリアムソン、なんていうビッグ・ネームが生まれている。女性ならシッピー・ウォーレスやメンフィス・ミニー。
そういう人たちと同じ時代を生きた人だった、と想像すると、ずっとずっと昔の人だと思っていた林芙美子さんが一気に身近に感じられる。

この人、国が違えば絶対ブルースを歌ってたはず。
或いは、時代が違っていたら、絶対ロック・バンドで歌ってたよな。
なんて。
タテのりのビートをバックにありったけのシャウトをする林芙美子さんを想像したら、すごく楽しくなってきた。


敬遠していた古典にも、もっとおもしろいものがあるのかもしれない。
目の前にまだまだ宝の山がたくさんあるのを見つけた気がして、ちょっとワクワクしてきた。







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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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