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意訳 Luka

スザンヌ・ヴェガ 「ルカ」 意訳




少年は、わたしの部屋の二階に住んでいた。
時折、大きな物音がしたり、泣き叫ぶような声がするのが気にはなっていた。
最初は、やんちゃな子供がふざけているんだろうと思っていたのです。小学校低学年くらいの子供なら仕方がない、その程度で苦情を言うのはあまりに大人げないだろう、と。
思い起こせば、それらの物音は、ずいぶん以前からしていたような気がする。
やんちゃな子供がふざけているにしてはおかしい、もっと恐怖に満ちて怯えるような、やめて、助けて、ごめんなさいという叫び声。

名前はルカって言います。
あなたの上の部屋に住んでいます。
きっと見かけたことがあると思います。
お願いがあるんです。
もしあなたが夜遅くに、
もめ事や喧嘩みたいな音が聞こえたとしても、
何があったんだい?って
僕に尋ねないでほしいのです。
何があったんだい?って
僕に尋ねないでほしいのです。
何があったんだい?って。


その日の夕方、学校から帰ってきた彼を見かけたわたしは、つい呼び止めてしまった。
少し怯えるような目をした彼の顔には傷ひとつないのだけれど、まくりあげた袖からのぞく腕や伸びた髪の襟足からのぞく首元には、ひっかき傷や火傷のあとのような傷がぎょっとするほどあった。
どうしたの、その傷。
思わずわたしが発した言葉に彼は慌てて袖を隠してうつむいた。

僕がのろまなせいなんだ、きっと。
大きな声は出さないようにしてるんだけど。
たぶん、僕、どこか狂ってるのかな。
生意気にならないように
気をつけてはいるんだけど。
あの人たちは、僕が泣けば気が済むんです。
だけど、どうかこれ以上
詮索したりしないでください。
もうこれ以上いろいろ言わないでください。
どうか、もうこれ以上。


でも、その傷。
腕でこうなら、背中はきっともっとひどいだろう。
少年の両親とはほとんど面識はない。
すれ違ったときに挨拶を交わす程度。
特に神経質そうでもなく、真面目で社交的な印象だった。奥様は少し控えめで口数が少なそうで、4時頃までパートに出ているとかいう会話を交わした覚えがある。
そう言われれば一度だけ、その父親らしき男が訪問販売に来た営業マンに狂ったように罵声を浴びせているのを聞いたことがある。
あんな真面目そうな人が?よほど何かあったのかしら、とそのときそう思ったっきりすっかり忘れていたけれど。

お父さんに叩かれるの?
お母さんは助けてくれないの?
少年は口をまっすぐにつぐんだ。
目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

僕ならだいじょうぶです。
またドアにぶつけちゃっただけ。
もしあなたがこれ以上尋ねるのなら、
あなたには関係ないでしょ、って
言ってしまうかもしれません。
一人になれたらいいんだけどね。
そしたら、何も壊れないし、
何も投げつけられない。
どうなんだなんて聞かないでください。
どうなんだなんて聞かないでください。
どうなんだ、なんて。


それからしばらく、少年の姿を見かけることはなかった。
いつも何かしら物音がしていた上の階は、奇妙なほど静かになった。
そうして数日が経った日のこと。
仕事から帰ったわたしのマンションの入り口が封鎖されていた。
たくさんの警官が警備をしていた。
尋問を受け、階下の住人であることを伝えた。
何かあったんですか、というわたしの質問は無視され、警官が矢継ぎ早に質問を行ってきた。
住人とは面識はありましたが、どういう人だったのかは知りません。
真面目そうなごく普通の人でした。
何かあったんですか?

そこでわたしは、少年の悲しい事実を知った。

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スザンヌ・ヴェガの歌う“Luka”は、児童虐待に関する歌だ。
この歌を訳しながら、勝手にイメージを広げたショート・ストーリーにしてしまいました。

集団生活をする生き物には、自分よりも弱いものを標的にする傾向があるのだと思う。
人間も元々はそういう性質を抱えていて、自分が充たされていないとき、弱いものへ当たることで憂さを晴らそうとする。

行政の対応には落ち度があったし想像力に欠けていたけれど、苦情の電話を掛けても問題は改善には向かわない。まして、ワイドショーを観てかわいそうねと呟いたところで。

本当に必要なことは、虐待された子供を引き離すことでもなく、まして暴力を振るう者をもっともな理屈で非難したり、誤りを指摘して啓蒙しようとすることでもないのかもしれない。

本当に必要なことは、暴力を振るうその人を抱きしめてあげることなのかもしれない。
ただただその人を受け止めてあげることなのかもしれない。
本当に必要なことは。


20190206083833f61.jpg
Solitude Standing / Suzanne Vega



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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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