fc2ブログ

Entries

◇コスモスの影にはいつも誰かが隠れている

コスモスの影にはいつも誰かが隠れている

コスモスの影にはいつも誰かが隠れている/藤原 新也

ここしばらく、本当に読書をしていなかった。
いや、読書ということならば、仕事がらみの本も含めて読んではいるから、正確には「小説」や「物語」を長いこと読んでいなかった、ということになる。つまりは、読んでみたいと思う「小説」や「物語」に出会っていなかった、ということだ。
一週間ほど前にたまたま新聞の夕刊で藤原新也さんの記事が載っており、この新刊が出ていることを知り、何気なく手にとって読んでみて、それがなぜだったのかがわかった。
つまりは、よくある「物語」のための「物語」に飽き飽きしていたのだ。
僕がとてもひねくれているのだろうけれど、いい具合にいいタイミングで主人公に何かが起きたり、主人公が誰かと出会ったりする物語はとてもうさんくさく感じてしまう。
普通そんなふうにいいタイミングで物事は進展したりしないのだよ、と思ってしまうのだ。
残念ながらほとんどの人生には、そうそう都合よくドラマチックな展開は起きないし、人生は常に複合して連続していろんなことが動いているし、そうそう単純に語れるものではない。
そのことがうまく表現されていないまま安易に物語を進展させてゆく小説や物語はどうもインチキくさい気がしてしまうのだ。

この本に出てくる13のストーリーは、いずれも何も起きない。
いや、何かは起きる。けどそこらへんのドラマみたいにドラマチックに物語りは進まない。
例えば表題作の「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」というお話。
東京でネットカフェ難民になった主人公は、東京の暮らしにも嫌気がさしてたったひとりで離れ小島に住んでいる。人とのふれあいはない。そんなとき、東京でほんのちょっとだけ縁があった女性から手紙が来る。ふと主人公はその女性の便りにあった住所を訪ねる。
だいたいのドラマなら、その先で女性との偶然の再会があったりしてドラマが進展していくのだが、このお話では女性には会えない。ただそこにはコスモスの花畑がある。
ただなんてことはないそのすれ違いの物語の中に、なんともいえないいい匂いの風が吹いているのだ。
懐かしいような、とても芳しい匂い。淋しさや哀しさを含んでいるのにとても芳しい匂いの風。

今、世の中は「幸せでならなくちゃいけない」強迫観念に苛まれていて、幸せを追い求めるあまりに自分で自分の欲望がコントロールできなくなってその結果どんどん不幸になっていく人がたくさんいるように思える。少なくとも新聞やワイドショーで見かける不幸な自殺や殺人事件のほとんどの根っこにはそういうものがあるような気がする。
でも、世の中の人間が平等に物質的精神的にすべての欲求が満たされ続ける、なんてことはきっとありえない。人類が人類になってからの99.9999%以上の人間はそういう意味ではずっと不幸だった。
不幸であることは実はありふれたなんでもないことなのだ。
或いは、幸せではないことを不幸と感じてしまうことそのものがとても不幸なのだ。
この13編の物語から、感じたのはそんなこと。


藤原さんはあとがきでこんなふうに書いてる。
「本書は、私がこれまで上梓してきた書き物とはいささか風合いが異なる。そこには私がこれまであまり触れてこなかった、ごく普通の生活を営む男と女の交わりや別れの瞬間、生死の物語が通奏低音のように流れている。
そして改めて読み返してみるとそこには、人間の一生はたくさんの哀しみや苦しみに彩られながらも、その哀しみや苦しみの彩によってさえ人間は救われ癒されるのだという、私の生きることへの想いや信念がおのずと滲み出ているように思う。哀しみもまた豊かさなのである。」

また、先の新聞のインタビュー記事ではこんなことを言っている。
「喜びや楽しみや何かを獲得することだけが幸福、という幸福の一元論をあの本は裏切っているんです。僕は人の幸福というのは、その人が生きている間に“よく生きた”瞬間が持てたかどうかに尽きると思っている。悲しい瞬間であろうとそれは“よく生きた”瞬間なんです。ひょっとしたら悲しい瞬間の方が喜びの瞬間より、人はよく生きているのかもしれない。」

十年前ならこの感じはきっと理解できなかっただろうな。
今なら少し、わかりそうな気がする。



スポンサーサイト



この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://goldenblue67.blog106.fc2.com/tb.php/145-8e57930c

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

Profile

golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

Calendar

09 | 2023/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

Gallery

Monthly Archives