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柿は柿色

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ぶらりと散歩していたら、あるお家の軒先で柿がたくさんなっていた。
「きれいなオレンジ色。」と思ってから、それはなにか違うんじゃないか、と思った。
柿は柿色。

いつからあの色のことをオレンジ色と呼ぶようになったのか。
子供の頃に持っていた色鉛筆では橙色となっていたけど、ダイダイなんてもはや現物を見るのはしめ飾りだけだ。
ピンクは桜色や桃色、紅梅色、薄紅色、紫なら藤色、菫色、藍色、赤にだって朱色も緋色もあるし紅色も茜色もある。青にも瑠璃色もあれば群青色もある。仕事柄、「シアンとマゼンダ30ー30で」とか「シアン100に」とかよく使うけど、ほんとは「藤色で」「菫色で」なんて指示できればかっこいいのにね。
こういう豊かな言葉が使われなくなっていくのはなんだかもったいない。

そんなことを思っていたら、図書館でこんな本を見つけました。
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美しい日本の伝統色 / 森村宗冬

日本人は古くから、たくさんの色に名前をつけてきた。
それは、四季と自然に恵まれ万物に神様の存在をみてきた日本ならではのことらしい。
とくにすごいなぁ、と思うのは、きっちりと区切れない微妙な色にも名前があること。
例えば、さだまさしの『精霊流し』に“あなたが愛した母さんの今夜の着物は浅葱色”と出てくる浅葱色。
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新撰組の羽織の色としても有名な色ですが、今なら「青緑」とか言っちゃうのかな。青でもなく緑でもなくそのどちらでもある色。(ちなみに僕のスマホ、青緑は変換するくせに、浅葱色は変換してくれませんでした。)

“鳶色の瞳に誘惑の陰り~♪”(君の瞳は10000ボルト)の鳶色はこれ。
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“亜麻色の長い髪を~”(亜麻色の髪の乙女)の亜麻色はこれ。
いちいち例えが古い歌で申し訳ない(笑)。
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“城ヶ崎の磯に利休鼠の雨が降る”と北原白秋が詩を書いた利休鼠はこんな色。
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いっそもっと古く、和歌で枕詞としてよく使われる「青丹よし」の青丹色はこんなのです。
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緑とグレイの間くらい?
日本人は青と緑を同一視していて、「青葉」「青田」「青信号」など本来「緑」のものを違和感なく「青」と表現しているのは有名な話ですが、日本古来の色には特に、青~緑~灰色~茶色あたりの微妙な色合いが多いのですよね。それだけ自然界に多い色合いだからなのでしょうか。
特に「黒」の多さは、ちょっと目から鱗でした。鈍色(にびいろ)、藍墨茶、消炭色、黒橡 (くろつるばみ)、墨色、涅色(くりいろ)、漆黒。染め物や漆器の染め方、塗り方などから細分化されていったのでしょうけど、ぜんぶ微妙に違う。
なんていうか、自然の色へのリスペクトが感じられるっていうか、古くから日本人がいかに自然を暮らしに取り込んで共生してきたかが伺える。

こういうことは若い頃はまったくスルーしてきたので、今頃になってすごく興味湧いてきました。
goldenblueも瑠璃鬱金とでも改名しよーかしらん(笑)。




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コメント

[C3241]

Bach Bachさん、こんばんはー。
そういう美しい日本語っていうのは、戦後くらいまでは当たり前にあって、わりと最近、昭和の終わりごろまでは残っていたような気がしますね。例に挙げた70年代のヒット曲にも自然に織り込まれていて。
今はそういう教養的なものを受け入れる素地がなくなってしまったというか、興味深いことにも「ふーん」「すごーい」「いいね」で終わっちゃう感じがあるのはなんか残念ですよね。
  • 2018-11-25 21:33
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C3240] 昔の日本人

昔の日本人は、言葉の使い方が何とも洒落ていて、その感性がいいと感じます。利休鼠とか浅葱色とか、見事。最近、長唄を聴いていたんですが、言葉の使い方の美しさが素晴らしかったです。でも、日本語が綺麗というのではなくて、日本語の使い方が洒落ている感じ。今の日本人はちょっと心に余裕がないのかな…。

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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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