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陸前高田

初めて陸前高田を訪れたのは、震災があった年の夏だった。
決して自発的な意思からではなかった。
勤務先がボランティア団体と関わりがあったことから、要員として駆り出されたに過ぎない。
そういう活動がとても大切だということは頭ではわかる。けど、同時に、どこか胡散臭い感じ、敢えて言うならば偽善っぽい臭いもしないではなく、できるならば避けたい気持ちもどこかにあったというのが正直なところ。

春先に行った先発隊はトラックを運転して陸路で現地に入り、その後の部隊はそのトラックを使って物資の運搬を行うことになった。被害の少なかった遠野に拠点を置いて全国から集まった支援物質をプールし、仕分けを行い、沿岸部の被災地へ運ぶのだ。とりわけ支援は陸前高田市と大槌町が中心になった。津波で行政そのものが壊滅的になっていたからだ。
遠野のボランティア・センターでボランティアの登録を行い、倉庫として提供された町立の体育館で物質の仕分けを行う。仮設住宅で必要な消耗品はもとより、お皿やお茶碗、衣類や寝具、毛布や扇風機なんかが特に要望としては多く、それらをできるだけトラックに積み込んだ。
陸前高田までは車で一時間と少し。山あいの谷間をジグザグと縫うように下っていく。
いくつかの山を抜け、いくつかの集落を越えて高田に入る頃にはもうお昼前だ。
川沿いの国道の直線を下り、緩やかな丘を越えると海が見えた。
その手前にはだだっぴろい埋め立て地のような景色が広がっていた。四方2、3kmくらいはあるのだろうか。荒っぽい土だらけのゴツゴツした風景には草すら生えていない。
平地から丘にあたる手前に、壊れた車がまるで廃車センターのように集積されていた。いくつかの重機が荒れ地に住む特別な生き物のように無機質に音を立て、ボタ山みたいな瓦礫の山がところどころにうず高く積み上げられていた。
ところどころに建物が、というよりはかつて建物だっったらしいものが見える。そのかつて建物だったものは例外なく一階部分がぶち抜かれている。まるではらわたをえぐられたように。
説明されなければこの場所がかつて町だったとはおそらく誰も想像できないだろう。
唯一の記念碑みたいに、沿岸部の道路にガソリンスタンドの看板が立っていた。

僕たちはトラックで、地域のあちこちに点在する仮設住宅を訪ねて歩く。
「こんにちは。大阪からボランティアで来たものです。お困りのことや必要なものをお聞きしてまわっています。」
阪神大震災のときにもたくさんの支援物資が全国から寄せられたけれど、現地の被災者が必要としているものと送られてきたものにずいぶんアンマッチがあり、結局集まった支援物資はじゅうぶんに活用されずに廃棄せざるえを得なかったという話を、来る途中の新幹線の中で聞かされた。実際、集まった支援物資の中には、どうせバザーかフリーマーケットで処分しようと思っていたのよ的なガラクタまがいのものもたくさん混ざっていたのは確かだ。とりあえず被災者のために何かしたいという思いから出た行動なのだからそのことは否定的にとらえるべきではないのだけれど、結果としてそれらのものは役には立たないことがほとんどだということを目の当たりにする。それでもこれは善意なんだと自分に言い聞かせながら仮設住宅を回る。
「扇風機、いただけるの?この仮設住宅って風通しが悪くってね。」
「もしあれば、毛布があるといいんだけど。夏とはいえ夜は冷えるから。」
「うちは、とくに必要なものはないです。」
訪ねた仮設住宅にはいろんな方がおられました。老人の一人暮らしの方、小さな子供を抱えた若い世帯。お母さんが亡くなられたのか、書いていただいた家族状況の表にお父さんと子供たちだけの名前が並ぶお宅。聞けなかったけど、となりの方がお話を聞かせてくださる。
「うちはみんな大丈夫だったんだけど、お隣はね、奥様が亡くなられて。まだ中学生と高校生なのよ、お子さん。ご主人の勤め先も流されてしまって。」
「そうなんですか、、、」と言ったっきり僕には次の言葉が見つからない。
「あの時はほんとうにたいへんでね。わたしたちは車で逃げたんだけど、渋滞でまったく動かなくなってしまって、バックミラーに津波が迫ってくるのが見えて慌てて車を置いて走ってね。ほんとうに波に飲まれる寸前で、ほんとに必死で山を掛け登って。」
「・・・」
仮設住宅で状況を聞き取りするとき、被災されたときの状況をこちらから詮索してはいけない、と言われていた。ただし、相手が話を自分からしてこられたら、いくらでも聞いてあげてください、とも。相槌を打つだけでいいからずっと聞いてあげてください、と。
「ここに来る途中、市役所のあたり、車がたくさんあったでしょう。あれ、みんなあそこで乗り捨てたのよ。」
廃車センターみたいに見えたあの光景には、そんな理由があったのか。そういうことだったのか。
「ほんとうに、目の前で起きていることが信じられなくってね、何にも考えられなかった。」
「・・・」

そんなふうにして仮設住宅を回って、お住まいの状況を聞き取り、必要なものはないかを聞いて回る。トラックに積んでいるものがあれば差し上げて、ないものは住居表にチェックする。子供のおもちゃ、CDラジカセ、下着、除湿機・・・いろんな商品がリストに並ぶ。そういう些細なものたちが、暮らしにどれだけの安心感を与えているのかなんて今まで当たり前にありすぎて考えたこともなかった。

夕方になって、遠野まで帰る時間になり、来た時に通った海岸沿いの大通りに出る。
工事車両用に応急で整備された交差点に差し掛かったとき、ふとトラックのカーナビが目に留まったんだ。
ナビの画面には、現在いる交差点の角にはモスバーガーがあることになっていた。コンビニがあって、ガソリンスタンドがあって、ファミレスと紳士服店が並んでいて、近くには駅があって病院があって、スーパーマーケットがあって。
この何にもない、だだっぴろい埋め立て地みたいな場所には、つい数ヶ月まえまで普通の暮らしがあったんだ。町があって、普通に人々が暮らしていたんだ。
何にもなくなってしまったその場所が、確かに町だった痕跡。
その画面を見て、僕は泣いてしまった。



それから幾度か陸前高田を訪れることになった。
この町が、あのカーナビで見たような普通の暮らしがある町に戻るまで、僕はこのことを忘れるわけにはいかないだろう、と強く思ったからだ。
そう言いながら、もう三年以上足を運べていない。
聞いた話では、あのだっぴろい埋め立て地みたいな場所はかさ上げ工事が終わり、最後に訪れたときに張り巡らされていた山からの土を運ぶ巨大なベルトコンベアも撤去されたのだそうだ。新市街地には、図書館を併設したショッピングモールと大きな広場ができ、海沿いにあった慰霊施設もそこへ移動したそうだけど、新市街地と呼ぶにはまだまだあまりにもだだっぴろいガランとした場所なのだそうだ。
またいつか訪れるとき、その場所がとても賑わっていて、人々の笑顔があふれているといいな。いや、賑わっていなくても、笑顔でなくても、ただ普通の暮らしがあるといいな。




Bridge Over Troubled Water / Aretha Franklin

荒れた川に架かる橋のように
私はこの身を横たえよう

ボランティアの帰路にはいつも、このアレサの声に励まされ、癒されていました。

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30Greatest Hits / Aretha Franklin







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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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