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♪祇園祭、もしくは、暑中お見舞い申し上げます

京都の夏といえば祇園祭。
蒸し風呂みたいにゆであがってしまうくらいのひどい人混みなので、宵山とか宵々山にあの辺りに近づきはしないのだけど、あのお祭りの独特な感じは嫌いじゃない。
1100年も続いている行事に対して嫌いじゃないとはずいぶん上からの物言いですが(笑)。

宵山の少し前の時期から、四条界隈の路地に、それぞれの町の鉾が並ぶ。近くで見るとほんとうにきらびやかで豪華絢爛で、和風や中国風はもとより、インドやアラビアあたりから直接舞い込んだような意匠の数々には息をのむ凄みがあって。施されたデザインのそれぞれにおそらくなにがしかの意味が込められていることが伝わってくる。
そして山鉾巡行の日には、きらびやかな鉾が街中を練り歩く。
圧巻で壮麗でありながら、なんだか霊柩車みたいだな、と思ったりもする。

そもそも祇園祭の始まりは今からおよそ1100年前の平安時代。都で流行した疫病を治めるために八坂神社で66本の鉾をつくり病魔の退散を祈願したのが始まりなんだそうだ。
米の貯蓄が底をつき、悪い疫病が流行する、エアコンも冷蔵庫も冷凍庫もない時代の夏は忌まわしい季節でもあった。
小さな子どもや老人など、体力のないものから順番に倒れてゆく。愛する人を突然、疫病で奪われる。
医者もいなければまともな薬もない。
人々ができることは、無事夏を越せるよう、神様に祈ることしかなかったのだろう。
お祭として同じように括られているけれど、祇園祭は、先祖を敬うお盆や、収穫の実りを祝う秋祭りや冬至を越えて日が長くなり新しい年の訪れを祝うお正月などとは少し意味合いが違う。つまりは死者の魂を鎮める祈りのためのお祭。
とてもにぎやかに打ち鳴らされる鐘太鼓、あのコンコンチキチンのリズムは実は死者へたむけられたもの。そして、きらびやかな赤や朱や金で飾られた装飾品。 神様を喜ばせるための派手な体裁の内側に込められた哀しくて切ない生きることへの願い。
ずっと昔から連綿と積み重ねられてきた人の営みの哀しさに、ただ呆然としてしまうのだ。


悲しい災害があったばかり。
激しいとはいえ、ただの雨なのに。幾日か降り続くだけで、あんなにひどい災害がいくつもあっちこちで引き起こされるなんて。
あの日、亡くなられた方々は、誰もみな、その日自分がああいう目に会うことなんて想像すらしなかっただろうと思う。ごく普通のいつもの暮らしが、大きな力で突然に寸断される。
無念にも亡くなられた方々も、残された方々も、心の準備などなかった分余計に辛く悲しい。
人が生きているっていうことは、自分で思っているよりもすごく脆いものなんだな。

どうかみなさんが、元気で無事この夏を越せますように。

暑中お見舞い申し上げます。


20180712214516e73.jpg
Shang Shang Typhoon 2


いろんなことを乗り越えてのなんでもアリ感のある、上々颱風のレット・イット・ビー、好きだな。
ただのばか騒ぎじゃない、悲しみを抱きつつ、それでも、だからこそ、踊っちゃえ的な。

Let It Be / 上々颱風





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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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