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小学校のプール

死にそうになった経験がありますか?
僕は一度だけあります。
あれは小学校2年生の時。
体育の授業中だった。
夏、といっても肌寒かったからまだ6月くらいだったのかも知れない。その日がプール開きだった。
2年生からは本格的な水泳の授業が始まる。1年生のときは浅い幼児用のプールで水遊びするだけだったのだが、水深1mのプールに入ることになるわけだ。
水着に着替え、シャワーを浴び、カビ臭いにおいのする消毒液のプールに浸かってから、プールサイドで体操をする。コンクリートのすきまからコケが生えていてぬるぬるする。頭から順に心臓のほうに向けて水を掛ける。きゃぁっ、冷たい。おーい、水かけんなよっ。こら、そこ静かにしなさい。だって○○くんが水をかけてくるんですー。
「まずはみなさん、水に慣れましょう。」
先生がそう言って全員プールに入る。
僕は体が小さく、背の順で整列するといつも一番前だった。なぜだったのかはわからないけれど、その日は背の高い順に前から並んでいて、僕は一番うしろだった。
当時僕の身長は1m15cmほど。その小柄な子供が1mのプールに入るとどうなるか。
つま先立ちをしても水面が、あごまでくる。誰かが動いて小さな波がくると、水が口を襲ってくる。えっ、これ、どうしたらええのん、とは思うものの、授業だし、みんなと同じようにするしかないんだと思っていた。つま先でぴょんぴょんと跳ねながら、なんとか溺れないようにする。前の方で先生が何か言っているけれど、とても聞いているような余裕がない。
ぴょん、ぴょん。
バシャ。
ぴょん、ぴょん。
バシャ。
その姿は先生には見えないようだ。
寒い。唇が真紫になっていく。
いつまで続くんだ。もう足がつりそうだよ。
「それでは、プールの中を、輪になって歩きましょう。」
先頭の背の高い連中がプールを逆方向に向かって歩きだす。
横からも強い波が押し寄せてくる。
僕はあっぷあっぷになりながら前へ歩こうとするけれど、一向に進まない。
やがて背の高い連中の一群が僕のうしろに追いついた。
そしてそいつが、いきなり僕を突飛ばしたのだ。
ザブン、ボゴボゴボゴ、、
立っているのも必死だった僕は、押されてバランスを崩し、つんのめった。
口にガバッと水が入ってむせると同時に鼻からも水。ゲホッ、ゴホッ、、、あぶっ、げひっ、げひっ、、、もがく。口、鼻、水。
その先、記憶がない。
たぶん先生が救い上げてくれたんだと思う。
プールサイドに寝かされて背中を叩かれ水を吐き出しとかされたんだと思うのだけど、記憶がない。

本当に死にそうなときは、死ぬんだと思う余裕すらないものだ、ということが僕が得た経験。

元々読書やお絵かきが大好きで運動は苦手だった僕は、それ以降、水泳が大嫌いになった。なにかと理由をつけては水泳の授業を休んだ。
大嫌いだから当然まともに泳ぐこともずいぶん遅くまでマスターできず、それは自分自身の劣等感に繋がっていった。
その劣等感を振り払い自分自身をちゃんと肯定できるようになるまで、ずいぶんと回り道をさせられた気がする。
そんなことがあったからでもないんだけど、今もプールや海にはあまり気持ちがそそられない。その延長で、サザンやチューブの歌の物語みたいに夏だ海だビーチだなんてやっている奴らに憧れもしないどころかアホにしか見えなかった。
今も、夏になったからって海になんかいかない。


201806252124324d9.jpg
Automatic for the People / R.E.M

Nightswiming


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golden blue

Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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