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♪らっきょうブルース

らっきょうがおいしい季節です。
シャクシャクとした歯応えと、適度な酸味とほのかな甘み。
つまみだすと止まらなくなるんですよね。
らっきょうの可食部分は玉ねぎのように根っこのところ。正しくは根っこではなく茎が肥大化したものなんだそうだけど、こういう植物のこの部分を食べるとおいしい、って発見した人は誰なんだろう。生だとかなり辛みがあってピリピリするはず。それを酢に漬け込んで辛み成分をとばしてやわらかくする食べ方を発明したのは誰なんだろう。人間の知恵ってすごいですよね。

らっきょうの大産地である鳥取県の砂丘地方でらっきょうの栽培が始まったのは江戸時代の末期のことらしい。
らっきょうは、豊かな土壌よりも栄養が少ない痩せた土地のほうがおいしく育つ。少ない水分と栄養分をしっかりと球根に蓄えておいしくなるのだ。
江戸時代というのは、末期には実質貨幣経済になっていたとはいえ基本は「米」を中心にした経済制度で、米がとれる地域は豊かで米の栽培に適さない地域は貧しかった。そういう社会にあって鳥取の砂丘の近くの村の貧しさは想像に難くない。なにしろ水はけの良すぎる砂地、田んぼ溜める水の確保も一苦労で、土の栄養もすべて流れてしまう痩せた土地。お米はまともに穫れない。
お代官様、勘弁してくださいまし
ならぬならぬ、年貢米を滞らせるなど不届き千万、ならぬものはならぬのじゃ
そこをなんとか、うちには病気を抱えた母親と娘が
ほう、娘とな、歳はいくつじゃ
この春で数えで14にございます
14ならばもう働けるではないか
娘も体が弱く
その娘を連れてまいれ、遊郭で稼がせればよいではないか
お代官様、ご慈悲を
おとっちゃん、あたい、行くよ
お加代・・・
・・・なんて、こんな物語をつい想像してしまう(笑)。
らっきょうが砂地で育つこと、砂地で育ったらっきょうの方が質が良いことを知った砂丘の村の人々の喜びはいかばかりだっただろうか。
これで年貢を追いたてられることがなくなる、ひもじい思いをしなくて済む、娘や息子たちを奴隷のような仕事にやらなくても済む、一家が離散しなくて済む。そんな思いだったんじゃないだろうか。
スイカやメロンやトマト、茄子やきゅうりなんかもそうだろうけど、夏においしい野菜や果物のいい産地は全部米どころではない場所だ。
たった200年ほど前、そういう土地で暮らすことがいかに大変なことだったか。
そんなことに思いを馳せながら食べるらっきょうは、とてもせつない味がするような気がする。


農業といえば、なんとなくミシシッピ・デルタ・ブルース。
サン・ハウスの“Country Farm Blues”を。

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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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