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パン工場(後編)

会社の経営状況は思わしくなかった。
80年代後半から90年代にかけての流通構造の変化に完全に乗り遅れていた。つまりは、大規模化したスーパーマーケットチェーンと広がりはじめたコンビニチェーンに入り込めなかったのだ。
今ではもはや見かけなくなった、駄菓子屋とかクリーニング屋とかと一緒に奥さんとおばあちゃんが交代で店番をしているような小さなお店にパンをほんの10個ほど運んでいたって儲かるわけもなく、大手のスーパーで山ほど積まれた他社のパンの脇にほんの少しだけ場所をもらった自社のパンの返品を持ち帰るのはとても惨めだった。
「お前とこのパンは売れんのぉ。」とスーパーの仕入れ担当から嫌みを投げつけられ、販促の提案をしても「お前とこので売れるのこれとあれだけやし他のはいらん。」とにべもなく断られ、心の中で「ですよねー。」と呟きながら「そこをなんとかなりませんかねー。」とかペコペコしている自分が嫌だった。
大手のスーパーには「返品OK」という条件がついているお店もあった。立場が弱いからやむを得ない、まずは売り場に並ばなきゃお客様が買うはずもないと置いてもらうのだけど、翌日に大量に残った返品を持ち帰るのは辛かった。
「これ、まだ賞味期限内ですけど?」
「あほぬかせ、そんな古い日付のパン置いてたら、うちの店が古いもんばっかり置いてるみたいに見えんねん。とっとと赤伝切って持って帰れ!」
その一方で駄菓子屋とかクリーニング屋のお店は返品不可。おばあちゃんが泣きそうになりながら、「これ引き取ってもらわれへんわなぁ。いっぱい余ってしもうてん。」と差し出してくる返品を断らなければいけないのも心苦しかった。この店、たぶん赤字やろなぁ、そう思いながら「いやー、無理なんでー。」
商売とはいえ、人としては良心が痛む。でも仕方がない。仕方がない、それが世の中だ、そう呟いて自分の正義を自分で折る。それって終わってるよな。。。

ある日、工場全体の大きな会議があって「わが社としては現在の事業をリストラクティブすることになりました。リストラクティブとは再構築するということです。」と発表があった。世間はまだバブル崩壊前の好景気の中、後に当たり前の言葉になった「リストラ」という言葉を僕はそのとき初めて知った。不採算のラインが縮小されそれに伴う配置転換や人員カットが行われた。労働組合はあったけど、所詮は本社工場の息のかかった傀儡組合で、まるで役立たずだった。田舎から出てきたばかりの高卒組がまず最初に首を切られた。
それでも1年やそこらでケツを割ったと思われるのは嫌だったから、自分なりには頑張りもしてみた。要領よくやればなんてことはない。業績が上がり始めると少しずつ僕の扱われ方も変わった。あ、やればできるんじゃんと少しずつ自信が出てくる。
あぁ、こうやってなんだかんだ言いながらも仕事を続けていくことになるんだろうか。それはそれで正しい選択なのかも知れない。
そう思い始めた頃に、友部正人の歌を聴いた。
ブルーハーツのマーシーやボ・ガンボスのどんとさんたちが影響を受けたと再評価され、古いアルバムがCDで再発された頃だったのだ。
『1976』というアルバムにこんな歌があった。

どうして旅に出なかったんだ、坊や
あんなに行きたがっていたじゃないか
どうして旅に出なかったんだ、坊や
行っても行かなくてもおんなじだと思ったのかい
おまえは旅に出るよって行って出なかった
俺は昨日旅から帰ってきた奴に会ったんだ
あいつはおまえとおんなじだったよ
ただ違うのはあいつはまた昨日旅に出たけど
おまえは行かなかったのさ
(どうして旅に出なかったんだ / 友部正人)

鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。
どうして旅に出なかったんだ、あんなに行きたがっていたじゃないか。
ざらざらした友部正人の声が、僕の喉元にナイフを突きつけるようにして歌う。
どうして旅に出なかったんだ
どうして旅に出なかったんだ
あぁ、そうだった。そうだったよ。
やっぱり僕はここを出ていくべきだ。
想いも覚悟もないままずるずるとこんなところにいたらほんとうに腐ってしまう。

「ヨースケ、俺、やっぱり辞めるわ。」
「そうなんか。最近仕事おもしろくなってきたとかゆーてたし、辞めへんのかと思うてたわ。」
「仕事なんかそれなりに頑張ったらそれなりの結果が出るってわかったからな。」
「まぁな。」
「沈んでいく船に乗り続けてから手遅れになるよりは、溺れても泳いでみるべきなんじゃないかと。」
「俺も考え時かなぁ。」
「日本は福祉国家だからな。食いっぱぐれても、貧乏で死ぬことはない。なんとかなるもんやって。」
「なんか儲かる商売でもするか?」
「いや、借金してまでギャンブルするのはやめとくわ。そこそこぶらぶら遊んで、金がなくなったらどっかの会社に潜り込む。」

退職届はあっさりと受理された。
退職する日の朝、朝礼で挨拶をしろと呼ばれ前に立った。
「お先に失礼します。」
と挨拶をしたら最後に上司にこっぴどく怒られた。

その工場は今、別のパンメーカーに買収され、別の会社の大きな看板が立っている。
僕が辞めてから数年後、会社は倒産し、工場は別のメーカーの手に渡ったのだ。
工場の中では、同じような仕事をあの頃とは別の誰かがやっている。変わらない日常の中で人だけが入れ替わっている。その中に、会社を辞めずにそのままパン工場で働き続けた自分の姿を想像してみる。暗い顔して、ああ、やっぱりあのとき辞めておけばよかった、今さらこの歳で雇ってくれるところなんてありはしない・・・そんなふうに毎日後悔しながらトラックでパンを運んでいる男の姿が見える。
そうならなくて済んだことは本当にラッキーだった。




“どうして旅に出なかったんだ”

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1976 / 友部正人




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[C3207]

名盤さん、こんにちはー。
遅すぎるということはないと思います。
旅に出ましょう。
  • 2018-06-04 07:41
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C3206]

50過ぎて今更ながらですが、近いうちに旅に出ようと考えています。

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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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