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♪桜

3月ももう終わり。
例年よりも幾分早く、穏やかな桜日和。
暑くもなく寒くもなく清々しい。
桜やお花見については古くからいろんな人がいろんなことを言ったり描いたり歌ったりしているけれど。
何かを感じて、それを誰かに伝えたくなる。美しいものにはそういう何かがあります。


『花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障る事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊にかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。』
(徒然草 / 吉田兼好)


吉田兼好の「徒然草」の有名な一節。
僕は偏屈で理屈っぽくて天の邪鬼なので、この感じはよくわかる気がする。
現代語に訳してみるとこんな感じかな。

『満開の桜とか満月のときだけやたらにはしゃぐなんて、馬鹿げていると僕は思うんだな。むしろ、雨の日に月を恋しく思ったり、春が来ているのに部屋に閉じこもってぼんやりしてるほうが素敵なんじゃないかって。花が咲き始める頃の梢だとか、散ってしおれた花びらが舞う庭だとかだって、けっこういいもんだぜ。よく「せっかく花見に来たのにもう散ってしまった」とか「いろいろ忙しくて花見にいけなかった」とかいって嘆いている人がいるけど、僕からしてみればもう全然わかってなさすぎなんだ。そりゃ花が散ったり月が傾くのは悲しいけどさ、「もう散った枝は見所がない」なんて言っている人は、もののあわれという気持ちを知らなさすぎるんだよ。』

なぜか「ライ麦畑」風になってしまいました(笑)。

今年はあたたかくて桜が早い。その上、晴天に恵まれて、きっとこの週末あたりはたくさんの人が桜の名所へ花見に出掛けるのだろう。或いはお弁当を持って近くの桜のある公園なんかでお弁当を食べたりするのだろう。
お花見という風習は、まだ日本中にこんなにソメイヨシノが拡散する前の奈良時代あたりから貴族の間で行われていたらしいから、そもそも僕たちのDNAに組み込まれてしまっているのかもしれない。
そういう僕も、やはり桜が咲き始めると観に行かなくっちゃ、行かないわけにはいかない、ぜひとも観に行くべきだと思ってしまう。本能的に、とすら言いたくなるくらい。
そして満開の桜を眺めて美しいな、と思う。豊かで穏やかな気持ちになる。
その一方で、どうも天の邪鬼な気持ちもムズムズしてくるんだよな。
そんなに綺麗か、桜。そんなにめでたいか、桜。
ほんの短期間、派手に咲いてさっと散ってしまうなんて、なんだか自分勝手だよな。
本当に美しいのは、その花見のゴザの下で潰されてしなっているシロツメクサやイヌノフグリや小さな名前さえ知らない花なんじゃないのか?なんて思ったりするのだ。
桜自身にしてもそうだ。花の開花は桜にとっての生命維持のサイクルの一部分であって、若葉が芽吹くことも、実をつけて種を残すのも全部大切なこと。花の部分だけをとってざわざわされるのは「どうかしてるぜっ」って感じじゃないのかしらん。人間がいくら集まったって受粉を手伝ってくれるわけじゃなし。
ハハハ、そこまでいうとただの偏屈だな(笑)。
ただ、兼好法師のおっしゃるように、満開の桜だけが桜じゃないはずだ。
つぼみの脹らみに春の近さを感じたり、今は目の前にない遠い桜の開花を思ったり、散ってしまった花びらが雨に濡れてぐしゃぐしゃになっている哀しさを思ったり、揚々として鮮やかな若葉に初夏を感じたり、いつか観た桜のその場所や一緒に観た人のことを思い出したり、そういうすべてを愛しいと思えるほうがいいよな、なんてね。

素直に桜の満開を歓びたい気持ちもある。
それをちょっと否定したくもなる。
50を過ぎても相変わらず、そんな感じだなぁ。

今日の音楽。
宮本君がまだとんでもなく偏屈だった頃のエレファントカシマシ。

201803282330336bf.jpg
浮世の夢 / エレファントカシマシ

世を上げて春の景色を語るとき
暗き自部屋の机上にて
暗くなるまでただ漫然と
思いゆく春もある
(「序曲」夢のちまた / エレファントカシマシ)

そういう春もそれはそれでいいのだよ。
と、ようやく治ってきた腰をさすりながらそう思う。
土日にお花見にはたぶん出掛けない。
その代わり今夜、どこかひっそりとした夜桜を眺めに行こう。




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コメント

[C3185]

Okadaさん、こんにちはー。
そうですねー。大人数の宴会みたいなのはもういいやって感じ、わかります。数人でぼちぼちやるのがいいですね。
散った桜といえば、哲学の道の疎水が桜吹雪とともにびっしり花びらで埋めつくされるのがすごくきれいなんですが、人がいっぱいだろうなー、と考えるとちょっと出かける気が失せてしまいます。
  • 2018-03-30 08:13
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C3184]

ぼくはgoldenblueさんより、ほんの少し素直に育ったのか(笑)
花見はしたい人間ですけど、やっぱりやるなら人が少ないところで静かにやりたいですね。
大人数で宴会みたいな花見はもうええわって感じです。
家の近くの公園は散った桜が地面にびっしりと敷き詰められ、綺麗なピンク色に染まるんですが、それを見るのも毎年のちょっとした楽しみです。

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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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