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◇イスラームから見た「世界史」

小学生の頃から、得意な教科は国語と社会だった。
3才のときに大阪で万博があったんだけど、その公式ガイドブックが人生初の愛読書で、そこに載っていた国や国旗は片っ端から覚えていたらしい。だから小学生の頃から、イギリスの正式名称はグレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国だとか、北朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国だとか、当時のソビエト社会主義共和国連邦だとか、そーゆー舌を噛みそうな長い名前なんかもスラスラ言えた。ハハハ、そう書いてみるとけっこう嫌なガキだな(笑)。
ただ、世界史だけはあんまりおもしろいと感じなかったのです。
ディオクレティアヌスとかメッテルニッヒとかホンタイジとか読みにくくてわけのわからない人名がずらずら出てきて、紀元前264年ポエニ戦争とか1077年カノッサの屈辱とか1517年ルターの宗教革命だとかそういう年号と事件名ばっかりをとりあえず覚えさせられた印象があって。
日本との関わりもまるでわからないし、時代の大きな流れが見えないから教えられる(覚えさせられられる)事柄ひとつひとつが全然つながらなくって、まるでピンとこなかった。
興味を持ったきっかけは、いわゆるバックパッカー的にいろんな国をうろうろしたからなんだけど、やっぱりその国の人たちのことを知る上で歴史って大事だな、と。
で、図書館でいろいろ借りては今さらながら「あー、そういうこと!」とか思ったりしています。


インフルエンザで出勤停止という思ってもみなかった連休をいただいて、ふとんの中でずっと読んでいたのはこんな本でした。

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イスラームから見た「世界史」 / タミム・アンサーリー

ハードカバーで600ページ以上もある、物理的にも「重たい」本なんだけど、おもしろくってスラスラ読めた。
冒頭、著者はいわゆる中東地域のことを「Middle World」と呼ぶことを提唱する。
極東=Far Eastもそうなんだけど、中東=Middle Eastという呼び方はヨーロッパ側を中央としてヨーロッパから見た呼称であって、この言葉自体が、現代がアメリカを含むヨーロッパ文明が世界を制覇していることを表すものなんですよね。日本から見たら西にある地域なのに日本人が直訳の「中東」という言葉を違和感なく受け入れているのもそもそもおかしい感じ。
日本の教科書で教える世界史は、世界史とは名ばかりの「中国史」と「西洋史」の寄せ集めなので、この地域のことは断片的にしか教わらない。教わったとしても、背景の見えない事件名をまとめて数百年分、って感じでしかないし、どこか悪役的な役割を担わされていることが多いですよね。例えば古代マケドニアのアレクサンダー大王の東方遠征のことは教わるけれど、視点はアレクサンダー側=征服者側=西欧側。どうしてアレクサンダーが短期間の間にアフガニスタン近くまで広がる大帝国を築きあげることができたか。簡単だ。そこにはすでにペルシャという大帝国が栄えていたからだ。
そもそもヨーロッパ人が世界を完全に支配したのは18世紀の産業革命以降のこと。15世紀末の大航海時代が始まる前は、それぞれの地域でそれぞれの文明と歴史があった。紀元前3000年頃にはメソポタミア、紀元前2500年頃にはエジプト、その後ギリシャ、ローマで文明が興り、一方東ではインドや中国でもそれぞれの文明が興る。それらは混じりあうことはほとんどなかった。そんな中で交流と相互影響があったのがユーラシア大陸で、長い歴史の中でこの大陸で文明をリードしてきたのは、アッシリアでありバビロニアでありペルシャでありイスラーム帝国、モンゴル帝国、オスマントルコと続いていく現代では「中東」と呼ばれる地域だった。インド亜大陸や、中国を含む東アジア地域は独立性が高かったし、ヨーロッパを含む地中海地域はローマ帝国の没落以降はずっと長い間、文明的には辺境でしかなかったのだ。地理的にも文明的にもこの地域こそが世界の中心、だからMiddle World。だいたい「ユーラシア大陸」という名称そのものが、ヨーロッパとアジアを連結させて後付けで名付けた名称で、それはつまりこの土地こそが「世界」で名前を付ける必要がなかったということに他ならない。「大陸」という概念そのものが大航海時代よりあとに生まれた概念だということだ。

この本、「イスラームの歴史」ではなく「イスラームから見た世界史」なので、イスラム教発生前後の社会状況や初期のイスラム教がどのようなプロセスを経て世界宗教になっていったかに多くページを割きつつも、世界史上の事件がイスラーム世界から見たときどう認識されていたのかがおもしろい。
例えば11~12世紀の十字軍遠征は、イスラム側からすれば野蛮人の略奪行為が散発的に繰り返されたに過ぎない。スペインでのレコンキスタも辺境地方の反乱でしかない。それほど当時のイスラムとヨーロッパの力の差は絶大だったようだ。
むしろイスラーム帝国にとって打撃的だったのは、モンゴル民族の来襲。これもヨーロッパ史では負の歴史に当たるためかあまり大きく取り上げられないが世界をひっくり返すような大事件で、当時アッバース朝第37代カリフのムスタアスィムが統治するアッバース朝の首都で100万を超える居住者と6万の精強な軍隊を誇った世界一の大都市だったバグダッドは徹底的に破壊され、数々の図書館に収蔵されていた何十万冊もの大量の学術書はモンゴル軍によって燃やされ、メソポタミア文明ならびにイスラム文明が築いた多くの文化遺産が地上から消失したのだそうだ。ただ、侵入してきたモンゴル人たちも結果的にイスラムに改宗したのは、イスラムが当時最高の文明だったということの証でもあるのだろう。
十字軍の影響は文明の一騎討ちとはまるで違う形で最終的にヨーロッパとミドルワールドの立場を逆転することにつながっていく。発展したレヴァント地方から持ち帰られた香辛料や奢侈な品々は、ヨーロッパ人へ東方への憧れを抱かせた。当時、ヨーロッパ人がインドや東アジアへアクセスするためにはミドルワールドを経由しなければならなかった。これをイスラム商人を通さずに取引できないものか、という思いが大航海時代を生んだのだ。

この本を読んで改めて知ったのは、イスラム教という宗教の成り立ちと本質。
ムハンマドがイスラム教を興した頃のミドルワールドは、ビザンツ帝国がギリシャ、アナトリア、レヴァント、エジプトを、ササーン朝ペルシャがカスピ海やアラル海近くの中央アジアを含む地域でそれぞれ大帝国を築いていた。この二大帝国の抗争から陸路の交易が途絶え、当時は辺境だったアラビア半島が紅海を経由した海の交易路として活況を呈することになるのだが、実質は富める一族と貧しい人々との貧富の差は増すばかり。
貧しい境遇に育ったムハンマドが説いたのは、神は唯一無二であり、神の前では誰もが平等であるということ。偶像崇拝を禁止し、神への信仰を告白し神へ礼拝を続けることで神の意思に帰依すること。そして同じ一神教であるユダヤ教やキリスト教と性質が異なっているのが、イスラムが「社会的平等が確立された公正な共同体を建設することを意図した社会事業」という側面を持っていたことなのだそうだ。
私たちが一般に連想するような個人の信仰としての宗教ではなく、思想的なことも政治的なものもすべて包括した社会システムとしての教義。
なるほどど思ったのは、なぜ7世紀にイスラム世界が広まり、信仰が確立されたかだ。著者はその理由のひとつに、イスラムの軍事的勝利を挙げている。実際、迫害されていた設立当初のムスリム集団は団結が強く軍事的にも強かった。そのことがムスリムは神に守られていたことに説得力を持たせた。そこから先は、いわゆる「勝ち馬に乗る」的な広がりもあったのだろうけれど、ムスリム圏が広がり、絶えず拡大しているのは一つの奇跡であり、ムスリムはそこに神の恩寵を感じたというのが、著者の考察だ。
これまでムスリムは神に守られて勝利してきたが、モンゴルの前にイスラム帝国は崩壊、パグダッドは破壊される。そのときから、ムスリムはなぜ神の恩寵が得られないの悩みはじめる。そこから、イスラムの改革運動も起きる。
しかし、クルアーンは「神からの預言の最終形」として出されたものであるが故に、イスラムでは常に原点に回帰することが求められる。イスラムを改革しようとする運動は根本的にイスラムそのものの中核をなす教義に本質的に逆らうものであり、各自が最良と思う宗教実践を行う権利を個々人に保証することを目指すような運動は許されなかった。実際、18世紀の産業革命につながっていったジェイムズ・ワットの蒸気機関に近いものは、イスラム文明でもすでに発見されていたのだそうだが、イスラムの社会にはそれを社会的な発展に活かすという発想がなかったのだそうだ。
産業革命以降、一気にヨーロッパとの形勢は逆転し、オスマントルコは分割される。トルコはイスラム国家であることを否定して世俗主義の国を作り、一方イランはアメリカとの石油がからんだ駆け引きの中からイスラム原理に立脚した国を作り、アラブ民族はエジプト・ヨルダン・レバノン・シリア・イラク・クゥエートと分割され、さらにパレスチナにユダヤ人の国を興され、イスラムの中では異端だったワッハーブ派のサウード王家の土地では石油が出たことでアメリカと接近して軍事大国になり・・・と完全に分断された地域になってしまった。
イスラムの人たちは、これを「神に対して誠実でなかったことへの神の怒り」と捉え、原理主義運動が深まっていくのも、イスラム教の成り立ちから考えればそれは不自然なことではないのかもしれない。


歴史というものは勝者側・支配者側から書かれ流布されるのが常。
実際のところどんな現場にも、立場によっていろいろな視点と考え方と感じ方がある。
著者はアメリカ在住のアフガニスタン系で、当然イスラム礼賛に近くはありつつも、教わってきた、あるいは私たちが自然と受け入れてしまっているヨーロッパ中心史観へのカウンターとして、とても刺激的な本でした。
むろん、ここに書かれたことへも、トルコ人からの、モンゴル人からの、インド人からの、いろんな見方がきっと存在するはずだ。
むしろ、世界中の地域でこういうものが書かれればいいのに。
それを段階を置いて学ぶことができれば、多様性を認め合い、物事を大きな視点と流れで捉えて、憎しみあわずに冷静に判断できる人間が育つと思うのですが。
フェイクなニュースが飛び交う現在だからこそ、多様なものの味方と騙されない眼を養いたいものだと思います。
ある物事を反対側から見てみることは、きっとその訓練にはなるのではないかと、タミフルでちょっとぼんやりした頭で、そんなことを思っていました。



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コメント

[C3173]

Bach Bachさん、こんばんは。
知れば知るほどおもしろくなってきますよね、世界史って。
あー、そーゆーことだったのかーっていうことがいっぱい。
イスラム教に関しては、いろんな偏見や思い込みがいっぱいあって、知らないから怖く感じるんだろうな、と。これは中国や韓国にも言えることですが。

音楽に関しては次の記事で♪
Bach Bachさんおすすめのあのアルバムも登場します。
  • 2018-02-20 23:36
  • goldenblue
  • URL
  • 編集

[C3172] 教科書を卒業してから歴史を知った

僕も、学校の教科書を離れて、自分で選んだ本を読むようになってから、はじめて世界史を知った気がします。イスラムに関しては文化にしても宗教にしても、それを学ぶと、日本や西洋で伝えられているようなものとまるで違うことが分かりますよね。私は、井筒さんのイスラム本からイスラム文化を知るようになりました。そして、あの地域は音楽も凄かったです!

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Author:golden blue
“日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。
“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います。

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